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啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(61)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月23日(土)13時57分34秒
編集済
  それから1週間ほどが過ぎた。記者クラブの仕事の方はやや落ち着いた感じになり、東大紛争と並んで大きな注目を浴びた日大紛争も、8カ月ぶりにバリケード封鎖が解除され鎮静化されることになった。
ある日、少し余裕ができたのか同期の坂井則夫が話しかけてくる。
「啓ちゃん、いま付き合っている白鳥さんとは上手くいってるの?」
「うん・・・まあまあだ。彼女も忙しくてね」
啓太はあいまいに答えたが、坂井の方は自分の“彼女”と順調にいっているらしい。啓太はあまり聞かないようにしているが、何かの拍子で彼がよく打ち明けるのだ。
「則(のり)ちゃんの彼女はSHIRAYURI(白百合)女子大を出ているんだっけ? きっと素敵なお嬢さんだな」
「そんなことはないよ、普通の女の子だ」
坂井が謙遜して答えたが、若いと異性のことには話が弾む。
「いいな~、君たちは。俺なんか女房をもらったからもう終わりだよ。いいのは今のうちだぞ、はっはっはっはっは」
隣から池永が茶々を入れた。彼は啓太たちの3年先輩で、結婚して2年ほどになる。
「でも、池永さんの奥さんは美人だと評判ですよ」
「いやいや、その辺に転がっている普通の女だ。まあ、飯(めし)をつくったり洗濯をしてくれるのはありがたいけどね。どうやら子供ができたようだ」
「えっ、それはおめでたい! 早く生まれるといいですね」
明るい話題になって話が余計に弾んだ。大した事件や事故がないと、みんな若い男たちなので記者クラブは生き生きとした雰囲気になる。そういう時、啓太はここに配属されて良かったなと改めて思うのだった。
大きな動きはなかったが、3億円事件については相変わらず情報や問い合わせなどが入ってくる。ある日、横浜に住むという男から、犯人についての重要な知らせがあるとの連絡があった。
「山本君、横浜に行って聞いてみたらどうだ」と、辰野新キャップが言う。
「こんなのは、どうせ“ガセ”ですよ。やめときましょう」と、啓太が答えた。
ガセとは“ガセネタ”のことでニセや嘘の情報を言うのだが、万が一にも犯人に結びつくのであれば大変なことだ。啓太は乗り気になれなかったが、辰野が重ねて言うので、暇つぶしだと思いながら車で横浜へ向かったのである。(続く)
 
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(60)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月21日(木)15時08分50秒
  食事をしながら談笑しているうちに、時間がだいぶ過ぎた。啓太は話しながら、このあとどうしようかと考える・・・やはり、思い切って胸の内をさらけ出そう。そう決めると彼は京子を誘った。
「これから喫茶店に行きませんか。いえ、ほんの短い時間ですよ」
彼女がいぶかしげな表情を浮かべたので、啓太はあわてて断わりを言った。
「ええ、でも、今日はこのへんで。明日は早朝から仕事が入っているのです」
「そうですか、それじゃもう少しここで」
啓太は実は“同伴喫茶”に京子を誘うつもりだったが、この店で本心を伝えるしかないと思った。周りの様子をうかがいながら、彼は単刀直入に自分の想いを述べた。
「京子さん、僕は前からあなたに好意を持っていました。それはあなたが木内(典子)さんと一緒だったころから変わっていません。あなたが青年海外協力隊へ行こうとも、僕との交際を続けてくれますね。これは一生のお願いだと思ってください。できれば、あなたが海外へ行く前に末永い契りを約束して欲しいのです」
啓太はここまで言うと、一呼吸おいて京子の顔を見つめた。彼女の頬がやや紅潮したように見えたが黙っている。“末永い契り”なんて古臭くて少しオーバーな言い方だったかなと思っていると、やがて京子が答えた。
「そう思ってくれるのはありがたいのですが、私はいま青年海外協力隊のことで頭がいっぱいなのです。帰国してからのことまで想像もできません。山本さんのご好意には感謝しますが、それ以上 答えようがありません。ごめんなさい」
ある程度 予想したような返事だと啓太は思ったが、それではやはり物足りない。もっと熱い反応を期待していたのに、プロポーズを婉曲に断られたような気がした。いや、断られたに違いない。彼はそう思って店の窓越しに外へ目をやった。
町は人通りが絶えない。次から次に人が通り過ぎてゆく・・・ 啓太が諦めた気持になっていると、京子の方から声をかけてきた。
「今日はこれで失礼しますが、またぜひ誘ってください」
「ええ、いいですよ。今度は京子さんが場所を決めてください。歌舞伎町はあなたに向いていないようですね」
皮肉っぽくそう言うと、啓太は出口へ行きさっさと精算を済ませ外に出た。帰り道は京子とほとんど言葉を交わさず、2人は新宿駅付近で別れた。彼は思い通りにいかなかったことに、残念な気がしてならなかったのである。(続く)
 

2月19日(火)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月19日(火)11時32分50秒
  この2~3日、暖かくなった。明日は気温がもっと上昇するらしい。いよいよ春本番か。
You Tubeでたまたま映画『万引き家族』を見たが、よくもここまで最底辺の人たちの生活ぶりを描いたものだと思う。JK見学店って何だと調べたら、女子高生の接待する店だという。ジジイには分からないことが多すぎるが、安藤サクラの演技は素晴らしかった。 英語の字幕がずっと出ていて、このあと映画はすぐに著作権侵害で削除されたが、まあ、映画を“万引き”したってわけだ(笑)
来週はベトナムで第2回米朝首脳会談が開かれる。一方、日韓関係は最悪の状態に。平成の最後に来て、東アジア情勢はなにか激変が起きるかもしれない。平成は停滞、沈滞の時代だったと思う。早く平成よさらばといきたい。
ある事をスマホで調べたら便利だった。ようやく慣れてくるのか?
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(59)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月17日(日)16時22分54秒
  「キャップ、長い間 お疲れさまでした」「いろいろ ありがとうございました」
部下からねぎらいの言葉がかけられる。すると、池永と坂井が冷やかし半分に言った。
「剣道二段になれて良かったですね」「英会話も上達したようだし」
「うん、いろいろできたのはみんなのお陰だよ。だいぶ迷惑をかけたかな、はっはっはっはっは」
草刈は明るい声で笑った。彼は警視庁記者クラブの仕事に満足して、去っていくのだろう。啓太はこのクラブに来た時、草刈から馬鹿やクズなどの“暴言”を吐かれたことを思い出した。あの頃は彼に強く反発したが、今ではそれが懐かしい出来事に思える。
いや、むしろその後、彼に鍛えてもらったことが記者生活の第一歩につながったと思えるのだ。啓太は気持よく草刈と別れることができた。そして、彼の後任のキャップには辰野慎也が決まった。辰野も以前 警視庁クラブにいたことがあるから、まず順当な人事だと言えるだろう。

2月に入って、啓太はようやく京子と会えることになった。お互いに忙しくてデートができなかったが、彼はこの時、ある決意を胸に秘めていた。それは彼女が青年海外協力隊員になろうとも、終生 変わらぬ“契り”を交わそうというものだ。まだ早いかもしれないが、こうと思ったらじっとしておれないのが啓太の性分である。
彼はこの日、自分の本心を伝えようと思った。デートの場所も新宿・歌舞伎町にして、京子を和風レストラン『N』に呼んだのである。彼女は少し遅れてやって来た。
「ごめんなさい、遅れてしまって。仕事が長引いたので申し訳ありませんでした」
「いや、いつも僕が遅れていますから」
京子が謝るのを啓太は軽く受け流した。2人はこのあと食事を注文してしばらくぶりの逢瀬(おうせ)を楽しんだが、彼女は3月いっぱいで『女性の未来社』を退職するという。そして、青年海外協力隊に本腰を入れるのだ。
彼女は以前にも増して生き生きした感じに見える。派遣先はアジアやアフリカ諸国の中で、特にフィリピンかマレーシアを希望するという。これは前にも聞いた話だが、京子の亡父は先の大戦中にこの辺りで海軍の戦闘に参加し、戦死したことが主な動機になっているようだ。
啓太は彼女の亡父についてはあまり尋ねないようにしていた。辛い想いを呼び起こすだけだから、努めて聞かないようにしている。京子も戦争の話は避けているようだ。それより前向きに、日本の国際協力の話をしたいのだろう。できれば、日本語など教育関係の仕事につきたいと言った。
「いつごろ出発するの?」
「さあ・・・ たぶん5月か6月ごろでしょう。その前に応募して合格することが先決ですよ」
それはそうだ、選考試験に合格しなければ協力隊員にはなれない。京子がおかしそうに笑ったので、啓太も苦笑せざるを得なかった。彼はなんでも先を急ぐ癖(へき)があるのだ。(続く)
 

〈復刻〉 天皇の韓国訪問はあり得るのか?

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月16日(土)10時04分18秒
  〈2014年10月26日に書いた以下の記事を復刻します。〉

昔、テレビ局に勤めていたころ、私の後輩で元ソウル特派員のS氏に尋ねたことがある。「日韓関係を本当に正常化させるには何が最も必要か?」
正確な言葉遣いは忘れたが、大体そういう意味で聞いたのだ。S氏はしばらく考えていたが、やがてポツリと答えた。「それは天皇の韓国訪問でしょうね」 そのやり取りから10数年たったが、今でもS氏が言ったことは忘れられない。
昭和天皇も今上天皇も諸外国をずいぶん訪問されたが、最も近い国である韓国は訪問されていない。 逆に韓国の国家元首である何人もの大統領が、わが国を訪れた際に天皇陛下に謁見している。その中で最も印象的だったのは、1990年(平成2年)のノ・テウ大統領の訪日だったろう。
この時、今上天皇の“お言葉”は「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、わたくしは痛惜の念を禁じ得ません」というものだった。
それ以降、日韓関係は順調に推移していったと思うが、最近になってその関係はどうもギクシャクし、悪化してきたようだ。特に2012年8月のイ・ミョンバク前大統領の発言は、大きな物議をかもした。 それは「日王が痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない。日王は韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」というものだった。
“日王”というのは天皇を指す言葉だが、天皇に正式に謝罪を要求したことで、日本国内では一気にイ・ミョンバクへの非難、反韓感情が高まった。イ・ミョンバクはその直前、韓国の大統領としては初めて竹島に上陸したことから、なおさら反韓感情を煽ったのである。

日韓関係はその後、慰安婦問題や歴史認識などで対立が続いているが、それは周知の事実なので省略しよう。ここで問題にしたいのは「天皇訪韓」のことである。イ・ミョンバクはまるで日本側がそれを望んでいるかのように言っているが、そんな話は誰も聞いていないだろう。外務省や宮内庁で内々に話し合われているかもしれないが、まだ全くの“絵空事”である。
しかし、イ・ミョンバクが公式に発言したこと、また韓国情勢に詳しいS氏が述べたことで、天皇訪韓はいつか実現すると思っている。 多くの人はもう忘れたかもしれないが、今上天皇は1992年(平成4年)10月に中国を訪問されている。日中関係にとってはとても有意義ななご訪問だったと思う。
さて、日中関係の話はさておき、日韓関係はいま相当に悪い。ちょっとやそっとで改善されるとは思えない。慰安婦問題や歴史認識のほかに、産経新聞ソウル特派員の起訴事件などが相次いでいる。これは報道機関への“弾圧”と言える。だから、天皇訪韓などいま口にすべきことではないが、関係が悪化しているからこそ胸に去来するのだ。
日韓議員連盟のメンバーも韓国を訪問した。私は韓国にある種の“不信感”を持っているが、日韓関係がいつまでも不正常なのは良くないと思っている。いつの日か関係は修復されるものと期待するが、それでつい「天皇訪韓」の夢物語をしてしまった。お笑いになる人も多いだろう。しかし、韓国は地理的に日本に最も近い国である。日韓関係の修復を願ってやまない。(2014年10月26日)
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(58)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月12日(火)11時23分6秒
  ところで、東大当局は入試を実施したいと考えていたが、政府・文部省は大学の荒廃が凄まじいなどの理由でその要求を拒否した。このため、東大はついに入試を中止せざるを得なくなったのである。
この前代未聞の異常事態に、大きな影響を受けたのは受験生や卒業生である。東大に入ろうと懸命に勉強してきたのに、入試がなくなったのだ。多くの受験生が当惑したのは当然で、現役の高校生は“一浪”する者が増えたという。
しかし、すでに一浪や二浪をしている受験生は、これ以上 浪人はできないと、急きょ他の国立大学などに鞍替えする者が多くなったという。また受験生だけでなく、卒業予定者にも混乱が起きた。
長期のバリケード封鎖やストライキで、単位不足や卒論未提出の事態は深刻だった。啓太はあとで後輩の新入社員に聞いたが、会社側の配慮で“東大中退”のまま採用された者がいる。一方、中退がどうしても嫌だという者は、秋までにわりと簡単な「卒論」を提出して卒業生になった者もいる。
このように、大学紛争は多くの受験生や“卒業生”の身の振り方にさまざまな影響を及ぼした。東大だけでなく、紛争が起きた大学では想定外の事態が起きたのである。

安田講堂攻防戦が終わった翌日、珍しく白鳥京子の方から啓太に電話が入った。
「ご苦労さまでした。お怪我などはなかったでしょうね」
彼女の声を聞くと、救われるような気持になる。
「ええ、ありがとう。無事に取材は終わりましたよ」
啓太は昨日までのことを手みじかに話した。京子はなおも話を聞きたがっているようだが、記者クラブにいるので近日中に会う約束をして電話を切った。
「なんだ、彼女からの電話か」「ええ、まあ・・・」
耳ざとい池永が声をかけてくるので、啓太はあいまいな返事をした。
「今度こそいよいよ3億円事件だな。頭を切り替えないと」
「そうですね」
啓太は相槌を打ったが、3億円事件の方はますます混迷の度を深めてきたようだ。例の犯人のモンタージュ写真だが、公表されると情報が殺到し混乱をかえって助長した。新聞社やテレビ局にもいろいろな情報が届き、それをさばき切れないような状態だった。
「モンタージュ写真にそっくりの男が近所にいるよ」
「タレントのA氏があやしい。彼のアリバイは大丈夫なのか?」
「犯人についての重要な情報があるので、ぜひお会いしたい」など・・・
こうした電話が次々にかかってくるので、対応しきれなくなったのだ。3億円事件に関心を持ってくれるのはありがたいが、なにか“お祭り騒ぎ”になった感がする。
そうした中で、2月の人事異動で草刈キャップが外信デスクに移ることになった。彼は海外特派員を志望していたので、そのワンステップなのだろう。(続く)
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(57)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月 9日(土)10時48分20秒
編集済
  明けて19日、その日は日曜日である。前日と同じように取材陣は夜明け前から準備を進め、啓太たちは再び東大構内に入った。安田講堂が目の前にそびえ立って見える。相変わらず真冬の寒さで吐く息が白い。
やがて6時半を過ぎると、機動隊が正面から一斉攻撃を再開した。人員は8000人以上に増強されたようだ。バリケードの撤去に全力を挙げる隊員、そして3カ所辺りからの放水と催涙ガス弾の発射は昨日と変わらない。一方、立てこもる全共闘の学生たちは400人ぐらいか、この日も火炎ビンや投石の反撃を繰り返した。
機動隊はこの日、正面だけでなく講堂の側面からの攻撃にも力を入れた。新設まもない第7機動隊がその任務に当たったのである。
「山本君、今日は講堂側面の取材をやってくれ」
「分かりました」
草刈に言われて啓太がその場に行くと、同期のカメラマンの小出も来ていた。
「やあ、攻撃はまだなのか?」
「うん、もうすぐだと思う」
小出の問いに啓太はそう答えたが、やがて第7機動隊の突入作戦が始まった。ここは正面と違って、投石や火炎ビンの攻撃がほとんどない。学生たちは正面の攻防戦で手一杯なのだろう。啓太と小出は機動隊の後について講堂内に入った。
しかし、その先は頑丈なバリケードの防塞があって前へ進めない。機動隊は斧や大型の電気ノコギリを使ってバリケードの排除に取りかかっている。こうした状況をあとでレポートするのだが、啓太は小出が撮ったフィルムを持って行くことになった。
「おい、頼むぞ」「任せとけ」
そう言って、啓太はフィルムを預かり講堂の外へ出ようとすると、今度は火炎ビンや投石が激しく降ってきた。学生たちも機動隊の側面攻撃を放っておけなくなったのだ。これは危ない・・・
ひとしきり頭上からの攻撃が止むのを待って、啓太は外へ飛び出した。もちろんヘルメットで頭を防備しているが、怖くて仕方がない。運よく火炎ビンなどに当たらなかったが、走っている間に水をかぶった。
放水車の水か、それとも警視庁のヘリコプターが上空から散布している催涙ガスの水溶液か。それは分からないが、啓太はフィルムを“作業衣”のポケットに入れ、単車(オートバイ)が待っているFUJIテレビの前線基地に届けた。昼ニュース用のフィルムである。

そして、昼の放送は無事に終わったが、午後になると機動隊の総攻撃はますます激しくなり、分厚いバリケードも次々に撤去されていった。また、東大構内に侵入しようとした外部のデモ隊も排除された。そして夕方6時前、安田講堂の屋上で最後まで抵抗していた学生たちが逮捕された。安田講堂はこうして陥落したのである。
公式発表では機動隊の負傷者710人(うち重傷31人)、学生の負傷者47人(うち重傷1人)、逮捕者は全体で600人を超えたという。まことに凄まじい攻防戦だった。
取材陣は夕方のテレビ中継を終え、警視庁の記者クラブに引き揚げた。
「やっと終わったな。みんな、ご苦労さん」
草刈が部下の一人ひとりに声をかける。啓太も東大紛争がようやく終わったのだと実感した。(続く)

参考映像→ https://www.youtube.com/watch?v=zoWRtxombjw
https://www.youtube.com/watch?v=X7xcOi4fpro
 

2月8日(金)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月 8日(金)15時47分6秒
  今日は寒い。明日は関東地方も雪だとか。冬本番だ。
クリント・イーストウッド(88歳)が23歳の女性と付き合っているという。超有名人だから不思議ではないが、なんとも羨ましい話だ(笑)。
かつて民主党の“プリンス”と言われた細野豪志氏が自民党入りへ。野党の方が静かで、自民党内部からの批判や反発が強いのは意外だ。しかし、今の政治はこんなものだろう。自民党へ行こうがどこへ行こうが、そんなに変わりはない。
ドキュメンタリー映画『眠る村』が話題を呼んでいるようだ。有名な“名張毒ぶどう酒事件”を扱っているとのこと。冤罪の可能性はともかく、要するに「真犯人は誰か!?」ということだ。
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(56)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月 6日(水)09時33分10秒
編集済
  午後になっても、工学部列品館や法学部研究室の攻防戦は続いた。一方、キャンパスの外では学生たちのデモが断続的に続き、彼らは大学構内に侵入しようとして、防備の機動隊とたびたび衝突を繰り広げた。いわば“二正面作戦”であり、神田カルチエ・ラタン闘争の再現である。
このため、機動隊は分散される形になり、構内の戦いに十分に集中することができなかった。
「これじゃ、今日中に片(かた)を付けるのは無理だな。安田講堂を攻めるのは夕方からか・・・」
草刈が苦虫をかみ潰したように言ったが、啓太も今日中の決着は無理だと思った。特番や夕方のニュースへ向けて2人は打ち合わせをしたが、事態は極めて流動的で先のことがなかなか読めない。
そのうち、列品館の戦いがようやく機動隊に有利になってきた。絶え間のない催涙ガス弾の発射や放水が学生たちに損害を与え、彼らにも何人かの負傷者を出した。やがてバリケードは全て撤去され、屋上にいた学生たちは降伏したのである。
一方、法学部研究室の抵抗も3時過ぎには鎮圧され、残るはいよいよ安田講堂のみとなった。そして、正面から機動隊が攻撃を仕掛けたが、バリケードは幾重にも頑丈にできているため、突破することは困難であった。
頭上からは相変わらず火炎ビンや投石が相次いだが、これはもちろん予想されたことで、警視庁はむしろ火炎ビンなどを“吐き出させる”ことを目的にしていた。ただし、この日の安田講堂制圧はとても無理なので、警視庁は午後5時過ぎに攻撃を中止し、翌日の作戦を練り直すことになったのである。
啓太らは夕方のニュースが終わると、一部のゲリラ取材班を残してF旅館に戻った。
「やっぱり思ったより、学生たちの抵抗は激しかったですね」
「うん、明日(あした)だ、明日こそ決戦だな。警視庁は面子にかけて総攻撃を仕掛けるだろう」
啓太が声をかけると、草刈自身が覚悟を決めたように答えた。
真冬の日没は早い。外はもう暗くなっていたが、スピーカーを通して何やら学生の声が聞こえる。過激派の誰かが演説をしているのだろうか。
取材陣は夕食を取ったあと、代わりばんこに風呂に入った。啓太もお湯の暖かさに生き返った気持になったが、ふと思うのだった。機動隊員も学生たちも、真冬の寒さに身震いしながら明日の決戦に備えているのだろうかと・・・(続く)

参考映像→ https://www.youtube.com/watch?v=3itnXEr7kLM
https://www.youtube.com/watch?v=Q5qq0jW1yTE
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(55)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2019年 2月 3日(日)13時19分46秒
  そして18日、取材陣は夜明け前から報道態勢の準備に入った。本社から届いた朝食の弁当を平らげると、東大キャンパス班と近辺のゲリラ取材班に別れ、一斉に担当地域へ向かったのである。
啓太は東大班に入っていたが、身を切るような真冬の寒さに体がこわばった。
「寒いな~、やりきれないよ」と彼がぼやくと、同期のカメラマンの小出が「それじゃ、火炎ビンにでも当たるか」と冗談を言ったので、2人は大笑いした。冗談でも言っていないと、寒さと緊張感に耐えられないような雰囲気なのだ。
やがて、警視庁の機動隊が大学構内で整列を終えた。いよいよバリケード封鎖の撤去が始まる。機動隊はまず、安田講堂の周辺から実力行使に入るようだ。そこには医学部や工学部などの施設があり、過激派の学生が武装して占拠している。
そして7時過ぎ、機動隊は一斉に行動を開始した。啓太はしばらく様子を見ていたが、同僚の記者と手分けをして取材することになった。見ていると、工学部の列品館と法学部研究室の“戦闘”が激しいようだ。頭上から機動隊を目がけて、雨あられと投石や火炎ビンが降りそそぐ・・・
一方、機動隊はジュラルミン製の大楯とヘルメットで武装し、後方から催涙ガス弾を連続で発射したり、放水を繰り返すなどして施設内に突入しようとしている。機動隊は全部で1万発の催涙ガス弾を用意したというのだ。
啓太は工学部列品館へ向かった。機動隊のバリケード撤去作業は難航しているようだ。施設に突入するのも大変だが、入っても思うように撤去が進まない。事前の情報によると、日大闘争で“勇名”を馳せた日大工学部の学生たちが、ここのバリケード封鎖に協力し応援しているという。
こういう状況を取材して、啓太は昼ニュース用の原稿をまとめた。そして、テレビ中継車で現場を指揮している草刈の所へ行くと彼が言った。
「昼の中継は君がレポートしてくれ。Nアナウンサーとの掛け合いだよ」
「キャップがやらないのですか?」
「うん、昼は君に任せる。夕方のニュースと特番は僕がやるよ」
草刈がそう言うので、啓太はNアナにこれまでの状況を伝え昼ニュースに備えた。まだ時間があったので彼は構内の様子を見て回ったが、列品館では学生が上から石油をばらまき、火炎放射器で火をつけるなど抵抗は一段と激しくなっていた。このため、機動隊員にかなりの負傷者が出たようだ。
過激派の学生は1000人以上と見られていたが、昨夜のうちに相当数が学外へ出たもようで、キャンパスに残ったのは数百人だったろうか。しかし、この中には“外人部隊”と呼ばれる外部の学生が大勢おり、最後の決戦に臨んでいたのだ。
機動隊と学生たちの攻防はますます激しくなってきたが、啓太は昼ニュースの中継のため、Nアナと共にカメラの前に立った。他局の記者たちも同じようにレポートを行なっている。
ニュースは無事に終わり、啓太はまた元の列品館に戻った。当初、安田講堂を含めバリケードの撤去は18日中に終了するかと思われたが、午後になると、それは難しいとの見方が強くなった。それほど、学生たちの抵抗は凄まじかったのである。(続く)
 

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