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無駄で、邪魔な「ヘッドレスト」はなくなれ!

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月14日(日)12時11分2秒
  今年の3月、私は入間市(埼玉県)のある映画館へ映画を見に行った。映画館に行くのは久しぶりなので少しワクワクしたが、入って座席につくと、すぐに首から上が窮屈な感じがした。それは「ヘッドレスト」があったからである。
ヘッドレストは私の後頭部に重圧を加え、首を前に押し下げるのだ。はじめは我慢していたが、どうしても気になるので映画を楽しく見ることができない。そこで途中から、上半身を右に傾けてヘッドレストから頭を外した。しかし、その姿勢でいると違和感があってだんだん疲れてくる。
私は途中から映画を見るのをやめ、休憩室に移った。しかし、再び映画を見ようと思い座席についたが、やはりヘッドレストが私の頭を邪魔するのだ。このヘッドレストは外したり、抜くことができない。固定しているから、私は終始 邪魔されながら映画を見る羽目になった。
映画を見終わると、実に不愉快だった。もう二度と、ヘッドレストのある映画館には行くまいと思った。こうして久しぶりの映画鑑賞は終わったが、私はこの「不愉快」な体験をいつの間にか忘れた。
しかし、先日、ある方のヘッドレストに関する記事にめぐり逢い、再びあの嫌な体験を思い出したのである。 車の運転時は、むち打ち症防止のためヘッドレストは必要だろう。しかし、新幹線に乗ったり映画鑑賞をする時には、絶対に必要なものだろうか?
ヘッドレストが好きな人は良いが、それが邪魔だったり、不愉快に思う人には必要ないのではないか。まったく無駄で邪魔だ! こんなものは外したり、どこかに片付けよう。“無用の長物”とはこんなものを言うのだ!
末尾に、私が触発されたある女性の方の名文を載せるので、ぜひ読んでいただきたい。もう一度言う。ヘッドレストは無用の長物だ。無駄で邪魔だ! なくなれ!(2018年10月14日)
参考記事→ http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0715/605518.htm
 
 

今日の一言(10月13日)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月13日(土)13時48分25秒
  映画館の座席のヘッドレストはまったく邪魔だ!  首や肩が疲れてゆったりできない。 ヘッドレストを外せないなら、もう映画館には行かないぞ!
 

10月12日(金)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月12日(金)15時23分46秒
  ようやく秋らしく涼しくなってきた。朝晩はけっこう冷えるので、時々ストーブをつける。衣替えだ。
東京の築地市場が昨日ようやく豊洲に移転、豊洲市場が開場した。いろいろ問題が起きたがじっくりと見ていこう。
小説『啓太がゆく』は主人公の最後をどうするか、一思いに殺してもいいが・・・いや、やはり生き抜くことか。
テレビでお馴染みの林先生、先日「さすらう(流離う)」と「さまよう(彷徨う)」を書き間違えた。林先生でもそうだから、われわれが書き間違えても当然だ(笑)
物もらいか、目が腫れてきてかゆい。
 

フジテレビ・産経新聞記者の“受難”

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月12日(金)05時15分4秒
  <以下の記事を一部修正して復刻します。>

最近、古い日記を読んでいたら、昔の「フジサンケイグループ」というのは、日本の左翼はもとより、中国や北朝鮮など共産圏諸国から徹底的に嫌われていたのを思い出した。
それは当時、フジサンケイグループを取り仕切っていた鹿内信隆(のぶたか)氏が、日経連出身の根っからの“反共主義者”だったからだろう。例えば、中国と台湾の位置付けについても「台湾一辺倒」だったから、中国側から猛烈に反感を持たれていた。
そこで嫌な思い出として残っているのは(45年以上前になるが)、フジテレビの私が野党クラブの記者をしていた頃、野党議員らが中国や北朝鮮を訪問するのに同行取材しようとすると、フジテレビと産経新聞の記者だけは必ず拒否された。つまり、中国や北朝鮮から入国は「絶対ノー」と言われるのだ。それでどれほど“煮え湯”を飲まされたことか。
当時は日中国交回復の直前だったから、社会党や公明党などの野党党首らがしきりに訪中していた。国交正常化はもはや時間の問題となっており、日中間の往来が頻繁になっていた。
そこで、社会党の成田委員長、公明党の竹入委員長らの訪中に同行しようとすると、フジサンケイグループの記者だけが拒絶されるのだ。それが又、実に嫌らしいのである。野党の党首らが出発する直前まで、中国側は入国イエスかノーかを言わないのだ。したがって、私らは一応出発の準備をして待機しなければならない。
すると、前日ぐらいになって「フジテレビと産経新聞の記者の入国は不可」という通達が中国側から出されるのだ。こういうことが何回もあったから、そのうち、どうせまた直前まで中国側から“嫌がらせ”を受けるだろうと覚悟するようになった。野党議員からは同情されたが、相手のあることだから仕方がない。こうして、私は何回も訪中の機会を逸した。それほど、フジサンケイグループは中国などから徹底的に嫌われたのである。

いつも入国を拒否されていたから、すっかり忘れていたが、1972年(昭和47年)5月には公明党の竹入委員長に同行して北朝鮮へ行けそうな感じだった。当時の日記を読むと、4月には「行けそうだ」と書いてあるから感触が良かったのだろう。しかし、5月7日には「行けなくなった」と記してある。
竹入委員長は5月19日には訪朝したはずだから、この時は「ノー」の返事が比較的早く届いたことになる。出発直前までの嫌がらせはなかったが、この時も“落胆”したことは間違いない。日記のトーンにはそれがありありと出ていた。当時は初の訪朝取材に胸をふくらませていたのだろう。
このように“反共主義”のフジサンケイグループは共産圏から徹底的に忌避されていたが、同じ1972年9月の田中角栄首相の中国訪問、そして歴史的な日中国交正常化の時は全く違った。
いくらフジサンケイ嫌いの中国でも、この時ばかりは“度量”のあるところを見せたかったのだろう。私は野党クラブの記者だから行けなかったが、官邸クラブの同僚記者らが何人も田中首相に同行して北京入りしたのである。日中国交回復という歴史的な出来事だからそれは当然だったろう。この時はテレビも毎日特番、特番の連続で、日中新時代の幕開けを報道していたのを思い出す。

その後も、共産圏からの嫌がらせは続いたが、徐々に緩和されていったと思う。他にも何回か煮え湯を飲まされたことがあるが、話すと長くなるので止めよう。当時の中国は「原則」を重んじる国だから、今では考えられないような話だが、反共メディアに対しては徹底的な敵意を貫いていたのだ。
あの頃は国内のデモ取材などの時も、フジテレビや産経新聞はデモ隊から特に狙われ、投石や嫌がらせを受けたものである。因果なテレビ局に入ったものだなあ~と嘆いたことがある(笑)。
私が中国へ取材で初めて入ったのはそれから数年経ってからだが、その頃には嫌がらせもほとんど無くなっていた。ただし、宿泊したホテルの部屋には盗聴器を仕掛けられていただろう。本日はどうも嫌な思い出話になってしまった。
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者)(21)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月11日(木)15時14分35秒
  デモの取材で一番厄介なのは、「デンスケ」という録音機を担いでいくことだ。重さが9キロ近くあるため、ベルトが肩にズシリと食い込む。普通に歩いている時はまだ良いが、急いで走ったりする時はとても苦痛になる。しかも、ゼンマイ駆動だから、しょっちゅう“手巻き”で動力を確保しておかなければならない。手巻きを忘れると、録音できなくなるのだ。
こんな厄介なものはない。そこで啓太は草刈キャップに言って、デンスケを常時 担ぐことを免除してもらった。デモの“現場音”を少しでも収録したら待機する車に預け、テープを局の単車(オートバイ)に渡すことにしたのだ。これによって、かなり自由にデモを取材することができた。
3月以降、「王子野戦病院反対闘争」は一段と激しさを増した。反日共系全学連の学生たちはゲバ棒にヘルメットで武装し、米軍王子キャンプに殺到していく。特に3月8日は、学生たちがキャンプの壁を乗り越え中に突入しようとしたため、警備の機動隊と激突し怪我人が続出した。
こうして学生と機動隊の闘争が繰り返されたが、市民の不満分子や野次馬もこれに同調して騒いだため、取材する報道陣が身の危険を感じることもあった。特に狙われたのがSANKEI新聞とFUJIテレビだったろう。不満分子から見れば、この2社は財界寄りの「保守反動」の手先と映ったかもしれない。

ある時、草刈と啓太が荒れ狂うデモを取材していると、FUJIテレビの腕章に気がついたのか数人の男が2人を取り囲んだ。こうなると取材どころではない。1人の中年の男が詰め寄ってきて言いがかりをつけてきた。
「FUJIテレビは何をやってるんだ! お前らは自民党や財界の“犬”じゃないか!」
男はまだ何か叫んでいたが、啓太はくわしく内容を覚えていない。暴行を受ける危険もあるから、早くここを脱出しなければと焦った。ところが、激情家の草刈は対応が違った。彼はその男とまともにやり合ったのである。
「俺はFUJIテレビだが、1人の労働者だ。労働者だぞ! だから労働組合をつくって、会社側と戦っているんだ!」
草刈が吠えるようにして叫んだ。この言葉が効いたのか、相手の男も草刈に一目置いた感じになり、2人はしばらく論争を続けていた。どんな論争だったか啓太は覚えていないが、やがて2人は相手を認め合ったのか互いにうなづいて別れた。そして、取り巻いたほかの男たちも去っていったのである。
啓太は安堵したが、そのうち草刈の言い分が可笑しくなった。草刈は労働組合をつくって会社と戦っていると言ったが、彼のようなKYODOテレビ出身者は組合に入らないという条件で、FUJIテレビに移ってきたのである。
草刈はとっさの判断でああいう言い方をしたのだろうが、男たちに囲まれて臨機応変に対応したと言って良い。余談だが、このあともFUJIテレビやSANKEI新聞はデモ隊に狙われることがよくあった。取材車や中継車が投石されたり、カメラマンや記者が多少の暴力を振るわれたりしたのだ。
いずれも大事にはならなかったが、啓太はデモ取材の厳しさを痛感したのである。(続く)
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者)(20)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月10日(水)15時26分51秒
  (17)デモの取材

金嬉老事件が終わって一段落したが、世の中は学園紛争や半日共系全学連の闘争などで騒然とした雰囲気になっていた。前年の羽田事件で過激な実力行動がはっきりしたため、警察側が防備の態勢を強化したのは当然だが、取材する報道陣も常にヘルメットの着用などを強いられたのである。
「おう、なかなか似合うじゃないか。少しは緊張感があっていいな、はっはっはっはっは」
試しにヘルメットを被った啓太を見て、草刈が冷やかすように笑った。記者クラブにも“新品”のヘルメットが何個か届けられたのだ。過激派の学生は石ころや火炎瓶を投げるので、ヘルメットは絶対に必要な防備用具である。
このほか、目薬やオリーブ油なども用意された。これは火炎瓶などに対抗して、警察側も催涙ガス弾を発射することが増えたため、目の保護に必要な措置だった。
ある晩、啓太が帰宅すると珍しく父の国義が話しかけてきた。
「啓太、世の中がなにか物騒になってきたな。これはいつまで続くのだろう?」
「さあ、当分は続くでしょうね。いや、もっと激しくなりますよ」
すると、横合いから久乃が口を出してきた。
「どんなことが起きても、体だけは気をつけてね。怪我などが一番心配ですよ」
「うん、それは気をつけるけど」
学生たちの激しい街頭行動をテレビで見ているせいか、両親は啓太の身を案じているようだ。しかし、彼はそんな心配はほとんど気にしなかった。

啓太が初めてデモの取材に行ったのは、「王子野戦病院反対闘争」の時である。この頃、ベトナム戦争が激化してアメリカ軍の負傷兵が急増した。彼らは東京・北区の米軍キャンプ内にある野戦病院に収容されることになったが、そこは住宅の密集地帯で中学校や高校のある学園地区でもあった。
このため、地元の人たちが強く抗議して反対運動を始め、社会党や共産党などの革新陣営がこれと共闘した。また、反日共系全学連ももちろん加わり、反対運動は一気に盛り上がりを見せたのだ。王子の混雑した地域は、デモ隊の抗議行動や叫び声でにわかに騒然とした。報道陣もその取材で大わらわになったのである。(続く)

参考→ 王子野戦病院反対闘争・・・https://www.youtube.com/watch?v=3YzqvgL_Btk
 

啓太がゆく・第3部(警視庁の記者時代)(19)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月 6日(土)15時13分55秒
  そうした日、記者クラブで待機していた啓太に電話がかかってきた。彼が受話器を取ると、聞き覚えのある女性の声が耳に入った。
「山本さんですか? 木内です。ご無沙汰しています」
「えっ、木内さん・・・久しぶりだな。元気ですか?」
「ええ、なんとかやっています」
それは木内典子の声だった。彼女と話すのは半年ぶりだろうか、思わぬ電話に啓太は懐かしさで胸が弾んだ。
「どう? 『女性の未来社』の仕事は」
「ここの記者生活にも慣れましたよ。今では“いっぱし”の記者です、ほっほっほっほ」
典子の笑い声に啓太はなにか安心した気持になった。
「君はなんでもできる人だもの、心配はないさ」
「いえいえ、ところで山本さんは事件記者ですってね、念願がかなったわけだ。いろいろ面白い話を聞きたいな~、ご都合はどうですか?」
典子の率直な誘いに啓太は気を良くした。
「もちろん、いつでもいいよ。でも、今は金嬉老事件で手いっぱいだけど」
「ええ、大変な事件ですね。山本さんは現場には行かないのですか?」
「うん、先輩の記者が行ってる。そのうち僕も・・・」
そう言って彼は少し気まずくなったが、典子とこの事件の話を続けた。
「では、事件が終わったら私の方からまた電話をかけます。よろしいですか?」
「ああ、もちろん・・・え~と、典子さんの電話番号は?」
啓太は典子の電話番号を聞いて受話器を置いたが、久しぶりに彼女の声を聞いて満足した。典子は元気そうで仕事に励んでいる感じだ。彼女が言ったように、自分も大事件の現場に行けると良いと思ったのだ。

その金嬉老事件は24日午後になって呆気ない幕切れを迎えた。人質の1人を解放して玄関口に現われた金を、報道陣に紛れ込んだ数人の刑事が取り押さえたのである。金嬉老は激しく抵抗したが、多勢に無勢で難なく逮捕された。報道陣の一部もこれに協力したが、その背景にはマスコミの取材姿勢に対する厳しい批判があったことも作用したのだろう。
一部のテレビ局は、興味本位に金にライフル銃を撃たせそれを撮影したりした。また、全国的に関心が高かったため、必要以上に金嬉老に発言の機会を与えた嫌いがある。彼はそれを良いことに、持論の朝鮮人差別反対を声高に訴えたのである。このため、凶悪な殺人事件や人質監禁の問題は、二義的な出来事という印象を与えてしまったのだ。
金嬉老事件こうして終了したが、以後、似たような「劇場型犯罪」がテレビ報道の発達に伴いしばしば見られるようになる。それには良い面も悪い面もあるが、啓太はこれも“時代の流れ”だと思わざるを得なかった。(続く)
 

10月1日(月)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月 1日(月)15時02分11秒
  台風一過、昨夜はわが“ボロ家”の2階もかなり揺れたと老妻。今日は真夏日の暑さ、久しぶりにクーラーをかけた。ツタヤでDVDを5本借りる。
沖縄知事選は野党が推す玉城デニー氏が、与党系の候補を8万票以上引き離して圧勝! これで普天間飛行場の辺野古移転は難しくなったろう。与党は総力戦だっただけに、安倍長期政権に陰りが見え始めたか。
台風の影響もあり『期日前投票』が圧倒的に多かったが、それなら、午後8時の投票締切りを以前のように6時に繰り上げても良いのではないか。選挙関係者だけでなく全員が助かる。こんなことはもっと柔軟に考えるべきだ。
 

「左翼的愛国主義」について

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年10月 1日(月)07時04分7秒
  〈2002年1月に書いた以下の記事を一部修正して復刻します。〉

 現行憲法の精神の中で、最も個人にとって重要なものは「基本的人権」であろう。我々は戦後の教育でその重要性を徹底的に教えられてきたと思う。 そして、政治的にはその上に、「国民主権」が高らかに謳われている。いずれも侵されてはならない、民主主義の貴重な原理だと思う。
 あのフランス大革命の「人権宣言」以来、この民主主義の原理は脈々と今日まで受け継がれてきている。これらの原理を最も強くアピールしたのは、「ジャコバン派」と呼ばれる左翼であった。 そういう意味では、21世紀の今日、「基本的人権」や「国民主権」が近代国家に生かされていることは、国家の基本が充分に左翼的になってきたと言えるのではないだろうか。 勿論、現代においては、右翼といえどもこれらの民主主義の原理を否定してはいないし、また否定できるわけがない。民主主義の原理が定着してきたと言えよう。
 以上の点から見れば、私もまちがいなく左翼的と言える。民主主義を最も強く推進してきたのが左翼だからである。そういう面から言うと、大多数の人が左翼的となってしまうだろうが、現実の左翼というのは不思議なことに、「国家」という理念をなぜか軽視する傾向がある。
 民主主義の原理を保証し、それを更に推進しようという国家に対しては、もっと愛着と敬意を抱くべきではないのか。全体主義の国家ならば許しがたいが、民主主義の国家ならば、これを擁護し守っていくのが当然である。 こうした観点に立てば、民主主義体制をより強固なものにしようとしている、今の日本国に対して、我々はもっと愛着と敬意を抱いて当然ではないのか。
 私は別の所で、「日の丸」の国旗は良いが、「君が代」の国歌には疑問があると述べた。それは「君が代」が「国民主権」の民主主義体制にふさわしくないからである。そういう意味では、私は左翼的だと言っていい。 しかし、今や民主主義「国家」の先頭を歩む日本に対しては、大多数の国民と同様に、深い愛着と敬意を抱いている。それを簡単に言ってしまうと「左翼的愛国主義」とでも呼ぶのだろうか。(2002年1月14日)
 

9月24日(月)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 9月24日(月)16時45分33秒
  先週に続いての3連休、今日はけっこう蒸し暑かった。
大相撲秋場所は白鵬が全勝で41回目の優勝を飾った。また、幕内通算で1000勝を達成、おそらく不滅の大記録になるだろう。1000勝というと、11年連続で66場所を全勝(990勝)しても達しない記録だ。恐るべき大記録である。
1万円をどこかに寄付する夢を見たが、年金生活者はそれが限度だろう。本当に寄付するかどうか分からないが(笑)。 『しあわせの隠れ場所』というDVD・映画を見たが、主役のサンドラ・ブロックというアメリカ人女優は、何かあると必ず100万ドルの寄付をするという。100万ドルとは1億円以上だ。東日本大震災の時も真っ先に100万ドルを寄付した。スケールの大きさにただ驚くのみ。しかし、この映画はいかにもアメリカ的博愛主義の平凡な作品で、それ以上のものではない。よってもう論評は控えよう。
埼玉西武ライオンズの優勝(パ・リーグ)が確定的になった!
 

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