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<ドラマ> 藤原薬子(1)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 1月21日(日)15時26分1秒
  空想、幻想、妄想のドラマ
今から1200年あまり前、長岡京から平安京時代にかけて1人の傑出した女性がいた。名を藤原薬子(ふじわらのくすこ)と言う。彼女は名門・藤原家の1人だが、歴史上「薬子の変」で有名になった。このドラマは、藤原薬子を中心として描いたものだ。

第1幕
第1場 <長岡京にある藤原縄主(ただぬし)の館。縄主の妻・薬子が独りでいる部屋に、兄の藤原仲成(なかなり)が入ってくる。>

仲成 「いや~、今日は忙しかった。ようやく時間が取れたから来たが、薬子、東宮(とうぐう)へ参内する準備は整ったのかな」
薬子 「ええ、なんとかできましたよ。久子も心の準備は万端です」
仲成 「あの子が“嫁入り”するとは、早いものだな~」
薬子 「ええ、ついこの間までは子供だったのに・・・歳月人を待たずですね」
仲成 「うむ、これでわが藤原式家(しきけ)はますます安泰ということだ。父上が生きておられたら、きっと喜ばれたのにな~」
薬子 「そうですね。式家がいっそう栄える時です。兄上のご栄達も間違いありませんわ。ホッホッホッホ」
仲成 「これ、冷やかすな。わしは立身出世だけを望んでいるのではない。式家の繁栄が第一なのだ。一族の安泰と繁栄こそ家長としての願いだ。そうなれば、ご先祖さまにも顔向けができよう。わしの願いはそれだけだ」
薬子 「ええ、もちろん分かっています。わたしも同じ気持ちです」
(そこへ、久子が挨拶にやって来た。)
久子 「伯父上、お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
仲成 「おお、久子か、しばらく見ないうちに立派に成長したな。それに、ずいぶん美しくなったぞ。ハッハッハッハ」
久子 「まあ、伯父上ったら・・・」
(久子が恥ずかしそうに顔を伏せる。)
薬子 「兄上、お褒め頂いてありがとうございます。近日中に東宮へ参内しますが、安殿親王(あてのみこ)はどのようなお人柄でしょうか?」
仲成 「どのようなと言われても答えようがないが、まあ、常識的で普通のお方だよ。あまりかしこまって堅くなる必要はない。素直によろしくと挨拶すればいいのだ。けっこう開けっ広げなところがあるよ」
薬子 「分かりました。正直にこちらの気持ちをお伝えします。ところで、ご進物は反物や陶器、地元の果物などでよろしいでしょうか」
仲成 「おお、それだけ揃えれば上出来だろう。まずは顔合わせだ。いずれ、たっぷりと貢ごうぞ」
薬子 「はい。それでは、東宮からの呼び出しを待つことにします」
仲成 「首尾よくゆくことを願ってるぞ。では、役所に戻ろう」
(薬子と久子が一礼する。去り際に、仲成のモノローグ)
仲成 「薬子は今や“女盛り”だな・・・」(続く予定)
 
 

共産党は「政党助成金」についてもっと柔軟で、現実的になれ!

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 1月 6日(土)15時06分26秒
  <2011年10月に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します。>

日本共産党(以下、共産党と略す)が政党助成金(交付金)の制度に反対し、受け取りを拒否しているのはまことに立派であると評価したい。ところが本来、共産党に交付されるはずのカネが他の政党に“山分け”されていることが、あまり知られていない。私はこのことを知ってビックリ仰天した。
受け取りを拒否したなら、これは当然「国庫」に返納されるべきだろう。これは国民の税金なのである。ところが、共産党の分を他の政党が“ハイエナ”のように食い荒らしているのが現状だ。非常におかしいではないか!!
こんな話はしたくなかったが、政党助成金というのは年間320億円ぐらいあるという。共産党はよく、この320億円を大震災の被災者救援に回せと言っている。これも非常に立派な意見だ。しかし、他の政党は一向に回そうとはしない。320億円はとても有難い資金だからだ。

ここで、他の政党を批判するのは自由だが、現実には国会で「政党助成法」が成立し、運用されているのだ。悪法だろうと何だろうと、国会で決まったことである。この法律を廃止するのに私は原則的に賛成である。その点は、共産党と一致している。しかし、現実に政党助成法を廃止するのは難しい。なぜなら、他の政党が廃止に反対するに決まっているからである。共産党は衆参両院で、たった15人の議員しかいない弱小政党だから、今すぐに政党助成法を廃止するのは無理である。
それならば、当面どうすれば良いのか。共産党員や支持者の中には、せめて共産党の分だけ受け取って、それを被災者救援に回した方が良いという意見がある。私はそれに大賛成だ。何億円だか知らないが、それを被災者の方に回せば、共産党は実に立派だと評価されるだろう。既存のブルジョア・マスコミだって、報道しないわけにはいかない。本当に被災者を救援したいなら、そのくらいのことがなぜ出来ないのか。共産党の諸君! 君らの分は被災者の方に行かず、他の政党の“餌食”になっているのだ。これが「現実」である。これで良いのか。これは被災者救援どころか、単なる“利敵行為”と言うのだ! 被災者を裏切るものだ!!

だいぶ激しい言い方になって失礼した。少し冷静になって、共産主義者が師と仰ぐレーニンの話をしたい。レーニンは確固たる信念を持っていたが、その一方で非常に“柔軟で大胆”な一面を合わせ持っていた。つまり「目的のためには手段を選ばない」ということである。
私よりも共産党の諸君の方が詳しいはずだが、例えば、第1次大戦中にロシアで革命が起きると、レーニンは亡命先のスイスから帰国するため、何と敵国であるドイツの“封印列車”に乗ってロシアに帰ったのである。これは有名な話だから誰もが知っているだろう。
つまり、レーニンは敵国・ドイツと話をつけ封印列車に乗ったのだ。これについて、道徳や倫理にうるさい人たちはレーニンを非難した。私が尊敬するフランスの文豪ロマン・ロランもレーニンの行動を批判した。
しかし、目的(革命)のためにレーニンは手段を選ばなかったのだ。後はよくご存知だろう。レーニンはフィンランド経由でロシアに帰ると、猛烈な革命運動を起こし、紆余曲折はあったが、臨時政府を打倒して10月革命を勝利に導いたのである。
目的は何か。革命だろうと被災者救援だろうと、やろうと思えば手段を選ばず出来るのだ。本気で被災者を救援したいのか。それならば、ロシア革命よりはるかに簡単なことである。たとえ数億円だろうと、共産党は自分の政党助成金を受け取って、被災者に回せば良いのだ。それをしないというのは、本気で被災者を救うつもりがないのか!?

またまた激しい言い方になって申し訳ない。ところで、レーニンはそれより前の日露戦争の頃(1904年)、日本の参謀本部諜報部員である明石元二郎大佐と秘密に会談し、資金援助を受けたという。(これには異説もあるが、明石本人が戦争後そう述べているのだ。)
つまり、日本にとってもロシアの革命勢力にとっても、ロシア帝国が“共通の敵”であり、敵の敵は味方という考えだ。司馬遼太郎氏の歴史小説『坂の上の雲』によれば、レーニンは後に「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである」と語ったという。(末尾にリンクしておく)
ロシアの革命家が、敵である大日本帝国の軍人と秘密に会って資金援助を受けるなど、道義的・倫理的に見れば許されないことだろう。時代や環境が今とはずいぶん違うとはいえ、目的のためには手段を選ばないという、レーニンの柔軟で大胆な姿勢を如実に表わすものだ。
私は若き日のスターリンのように、銀行強盗などをやれと言っているのではない。いくら革命のためとはいえ、銀行強盗は犯罪である。平和な今の日本で出来るわけがない。しかし、目的(被災者救援)のためには、政党助成金の自分のものを“合法的”に受け取り、被災者に回して何らおかしくはない。いや、逆に国民から拍手喝采を受けるだろう。そうした上で、助成金の廃止を訴えればより賛同を得られるはずである。

以上、私はレーニンの例を挙げて、確固たる信念を持ちながらも、戦略・戦術はびっくりするほど柔軟、かつ大胆に行なうことを提起したつもりだ。
共産党はよく“北斗七星”に譬えられるそうだ。つまり、不動の星座である。信念も節操も不動だということだろう。それは素晴らしい譬えである。私も北斗七星になりたい。しかし、星は天に輝くものだが、政治は地上のものである。泥臭く生臭いものが政治である。綺麗ごとだけを言っていれば、それは単なる「自己満足」でしかない。坊主がお経をあげているようなものだ。したがって、共産党はレーニンのように柔軟に大胆に行動して欲しい。
たまたま私は本日から、共産党の「しんぶん赤旗」日曜版を購読するようになった。そのため、いささかボルテージが上がったと思うが、率直に言わせてもらった次第である。共産党や党執行部に対して、何の悪意もないことを付言しておく。(2011年10月22日)

政党交付金・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%85%9A%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91
明石元二郎・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E
 

2017年の日記

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 1月 2日(火)14時21分51秒
編集済
  http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/095d80fcd9daaf61291b1860528b03df
http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/d1ce0deb27cc584ebf9ab82ff13ec8c4
http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/35ad4d7042356033676cdd27cb95453d
 

「ベートーヴェン」か、「ベートーベン」か

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月29日(金)13時01分12秒
  1) 師走になると、ベートーヴェンの第九交響曲(合唱)が鳴り響く。あまりにも有名なこの作曲家のことはさておき、私がここで問題にしたいのは、名前の表記の仕方である。 あなたは「ベートーヴェン」と書きますか、それとも「ベートーベン」と記しますか。
そんなことはどうでも良いと考える人達とは、ここでお別れしなければならない。どちらでも、実体は変わらないのだから。しかし、モノにこだわる私としては、どうしても続けなければならない。興味のある方だけが読んでいってほしい。これは日本語の表記に関することである。
結論から先に言うと、私は「ベートーヴェン」が良いと思う。なぜなら、彼は「Ludwig van Beethoven」だからである。 いろいろな辞書や人名辞典を調べると、「ベートーヴェン」と「ベートーベン」はほぼ半々に分かれる。しかし、私は「ベートーヴェン」の方が妥当だと思う。
その理由は簡単だ。Beとveは文字が違うし、発音も異なるからである。それがカタカナ表記においては違って当然であり、むしろ差異がある方が正しいと思う。同様のことでは例えば、愛と美の女神「Venus」がある。
これを「ヴィーナス」と書くか「ビーナス」と記すかは勝手だが、文字や発音から考えれば、当然「ヴィーナス」が妥当であろう。逆の事例を考えれば、もっと理解しやすい。例えば「Berlin」は「ベルリン」と書くが、「ヴェルリン」とは絶対に書かない。
つまりbeとve、biとvi、baとvaなどは文字も発音も違うのだから、表記の仕方が違って当然であり、むしろ差別化するべきだろう。 あとは感覚(センス)の問題もある。「ベートーベン」や「ビーナス」などと表記されると、私などはあの「ベートーヴェン」や「ヴィーナス」が、いたく軽んじられ、安っぽく扱われているように感じてしまうのだ。
同様に「Virgin」も「ヴァージン」なら良いが、それが「バージン」などと表記されると、“処女”の有り難みもどこかへ消えていくようで、性生活が自由奔放になっている現代では、処女は文字どおり“有り難し”と感じてしまうのである。

2) 話しが少し脱線したようだが、基本はそういうことである。ただし、外国の人名や地名等で、ve、vi、vaなどが「ベ」「ビ」「バ」と表記されるのに慣れてしまったのも多い。 例えば「Davis」は「デーヴィス」と書くよりも、「デービス」と記す方が一般的だろう。
また「Venice」は「ヴェニス」と書くよりも、今や「ベニス」の方が多いかもしれない。もともと「ヴェニス」はイタリアの「Venezia」のことだから、本来なら「ヴェネチア」ないしは「ベネチア」と書くべきだろうが、英語名の方が一般化してしまった。
「Violin」や「Viola」も、「ヴァイオリン」「ヴィオラ」と表記するより、「バイオリン」「ビオラ」と書く方が多くなっているようだ。(もっとも、厳密に「ヴァイオリン」「ヴィオラ」と記す人も少なからずいるが・・・)
このように、カタカナ表記には基準となるルールが明確になっていない。 しかし、「B」と「V」の区別ぐらいはあっても良いのではないか。 区別を付けたくても、できないものもある。例えば「R」と「L」の場合である。
外国語では「R」と「L」は、文字と発音がはっきりと違う。しかし、日本語ではラ、リ、ル、レ、ロで一緒くたに表記する以外にない。日本語に差別化する能力がない限り、これは仕方のないことだ。
表記も、表現と同じように基本的には自由である。しかし、そこには一定のルールがあって然るべきだ。 煩雑になることはもとより好ましくないが、差別化、区別化できるものを放っておくというのは、日本語の深み、味わいにとって決して好ましくない。 子供の言語能力や思考能力、識別化の発達のためにも、ルールを考えることは有効だと思う。

3) カタカナ表記の問題で、ささやかな提言をした形だが、ことはカタカナだけではない。漢字の表記にもある。 国民に大きな影響力がある新聞やテレビの場合、もっと考えるべきではないか。
例えば「萎縮する」「高嶺の花」「凌辱する」「激昂する」は、「委縮する」「高根の花」「陵辱する」「激高する」と表記される。 この中には、言葉の本来の意味から遠く隔たっているものがある。要するに“当て字”なのだ。
そこまでして、当て字をする必要があるのか。本来の意味から明らかに逸脱するような当て字なら、しない方が良い。 漢字を真面目に勉強しようという若い人達にとっては、有害無益である。なぜ、このようになったのか。
難しい漢字を排除して、できるだけ平易な表記を目指す気持は分かるが、意味がまったく逸脱するような当て字なら止めた方が良い。言語学者や出版関係の人が見たら、唖然として声も出ないだろう。
私事で恐縮だが、私は今のところ週に一度、某テレビ局で情報系番組の“チェック係り”をアルバイトで担当している。その職場で出版社出身の女性・Kさんが常時働いているが、彼女は新聞等の当て字の表記に慨嘆している。私ももっともだと思い、一言付け加えた次第である。
最近、人名用漢字などの許容範囲が拡大された。新聞、テレビ等でも漢字、カタカナの表記が豊かになりつつある。日本語の表現、表記がより深みを持ち、味わいのあるものになっていってほしい。(2004年12月28日)
 

今年の個人的な出来事

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月27日(水)15時25分2秒
  1。妻が大腸ガンの手術を受ける
2.小説『啓太がゆく・第2部』を完成
3.小説『落城』を完成
4.妻の入院・手術で“非常事態”に、ゴミ処理などに手こずる
5.小学校、中学校の同窓会に出席
6.近所のフジテレビ先輩とつき合う
7.塀は改装したが、雨漏り防止策はまだ不完全
8.小笠原貞子さんが吉永小百合の叔母と分かりショック
9.DVD・映画を大いに観る
10.ニット帽にハマる
 

歴史ロマン『落城』(47・終り)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月19日(火)10時31分8秒
  「お主は詩織殿と一緒に逃げろ。わしは貞清さまに申し開きができない。小百合さまのあとを追う。これが武士の務めだ」
「なんと! それはなりませぬ。貞清さまや皆が待っています。さあ、一緒にここを出ましょう」
佐吉がそう促したが、武広はきっと睨み返し言い放った。
「下がれ! わしの命令だ。貞清さまや皆にはよろしく伝えてくれ。一刻も早くここを出よ!」
そう言うと武広は刀の柄に手を置き、佐吉を追い払うかのように詰め寄った。もうこれまでと観念したのか、佐吉はついに首(こうべ)を垂れた。
「やむを得ません。もはやこれまでです」
彼は深々と一礼すると、詩織の手をしっかりと握りその場を立ち去った。炎と猛煙が武広の周りに迫ってくる。息苦しさはいっそう酷くなるばかりだ。武広はそこに座って脇差を抜く・・・ すると、ある思い出が蘇ってきた。
それは昔、小百合と山口城の土塁の上を歩いていた時だ。いつしか“霊魂”の話になり、武広が「空の向こうには無数の霊魂があるはずです」と言ったら、小百合は「現世で一緒になれなくても、死ねば私はあなたと永遠に一緒になれる」と語ったことだ。
昔の思い出が鮮やかに蘇り、武広はそれがいま現実のものになったと実感した。あとのことは小巻に任せれば良い。彼女はしっかり者だから、なんの心配も要らない。子供たちは立派に成長するだろう。自分は大義名分のために死ねば良い。
それは武士の掟(おきて)だが、実際は絶命した小百合のあとを追いたいのだ。自分は忠則や貞清の存在を越えたのだろうか。たぶん、2人を凌駕したに違いない・・・ そう自問自答しながら、武広は脇差の刃を左下腹部に当てた。そして、一気に自刃。
彼は苦悶の中を小百合の遺体ににじり寄った。遺体に覆いかぶさるように倒れると、武広は彼女の流れ出た鮮血に顔を埋め息絶えたのである。それからしばらくして、猛火に包まれた館は崩れ落ち黒煙が真冬の夜空を覆った。 こうして、藤沢城は陥落したのである。(終り)
 

歴史ロマン『落城』(46)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月15日(金)05時26分44秒
  夜の帳(とばり)が下りると、寄せ手の軍勢は最後の攻撃をかけた。豊島範泰の部隊はもちろん、太田資正や山口貞清らの部隊も続々と藤沢城に侵攻していく。あちらこちらで敵味方の衝突が起きたが、もはや勝敗の行方は明らかだ。多勢に無勢で公方方は敵の館を二重、三重に取り囲んだ。
その時、館の中央部分から激しい火の手が上がった。藤沢勢が放火したのは間違いない。
「おお、小百合や武広たちはどうなったのか・・・」
貞清が思わず声を出した。しかし、味方の軍勢はほとんど沈黙したまま火炎が広がるのを見守っている。館に突入する者はいない。敵は自滅するだけだ。
この時、武広と佐吉はすでに館の中に入っていた。事前に調べていたので裏手の通路から進入したのだ。彼らは猛煙をくぐり抜けるようにして奥の間に入った。そこで見たのは・・・藤沢忠則がすでに自刃し、うつ伏せになって倒れている。傍に刀を持った小百合と詩織がいた。小百合は薙刀を刀に替えていたのだ。
「小百合さま! どうかお逃げください。お供します!」
「武広殿、私は忠則さまの後を追います。この詩織をよろしく。いろいろお世話になりましたね」
「姫! なにを言うのですか。火が迫っています、一刻も早く逃げましょう!」
小百合とのやり取りで、武広は思わず“姫”と叫んでしまった。彼の必死の呼びかけにもかかわらず、小百合は覚悟を決めていた。
「お子さまは鎌倉の寺で無事に保護されましたぞ。早く会いに行きましょう!」
武広はなおも食い下がった。しかし、小百合はくるりと背を向けるとなにやら念仏を唱え、次の瞬間、刀を抜くと柄の方を床に止めその上に勢いよく身を投げたのである。刃は小百合の胸に刺さり、彼女はうめき声を上げてその場に倒れた。あっと言う間の出来事だった。
武広と佐吉は呆然として立ちすくんでいたが、詩織が小百合の傍にすぐに駆け寄り泣き伏した。彼女はあらかじめ小百合から言い含められていたが、やはり感極まったのだろう。それと同時に、武広は責任の重さを痛感した。
命をかけても小百合を救出すると、何度も主君の貞清に約束したではないか。それがこの結果である。責任を果たさなければならない。自分の責任を果たすためには、もはや唯一の道しかない。武広は佐吉に言った。
「山口に帰ったら小巻に、あとのことはよろしく頼むと伝えてくれ」
「えっ、どういうことですか?」
佐吉が驚いて聞き返した。そうしている間にも火炎の勢いはますます強まり、奥の間は煙が充満して息苦しくなってきた。遺言を書けないのが残念だ・・・ そう思いながら、武広はひたすら小巻と子供たちのことを脳裏に浮かべていた。(続く)
 

歴史ロマン『落城』(45)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月 9日(土)06時49分10秒
編集済
  「そうか、もう待てない」
武広がそう言うと、数人の武者も動揺したのか一斉にその場を離れた。彼らがいなくなったので、武広たちは苦もなく奥の間へ入ったが、そこには忠則夫妻の姿が見えない。
「佐吉、小百合さまを探そう!」
そう言って、武広が館を出て北門の方へ向かうと、深手を負った忠道が忠則に支えられながら退いてくるところだった。
「武広殿、武士の情けだ。そこをのいてくれ!」
忠則はそう言うと館の入り口に達し、忠道をその場に休ませた。
「わしはここで自害するぞ。忠則、ご苦労であった」
血まみれの忠道は座り直すと、脇差を抜いて大きく息を吐いた。
「父上、介錯しましょうか」
「介錯無用! お主は館に入り、立派に最期を遂げよ」
「はっ」
親子のやりとりは簡潔である。やがて、忠道は脇差を腹に刺し苦悶の末に事切れた。この様子を見届けて、忠則は武広に声をかけてきた。
「かたじけない。あとは館に火を放つので、ここでお別れとしよう」
「殿、お方さまはいずこに?」
「もうすぐここに来る。そこもとは早く引き下がるように」
「そうはいきませぬ! 私は小百合さまを助け出さねばなりません」
「なにを言っているのか。小百合はもう自刃を覚悟している」
「そんな・・・滅相もない」
忠則と武広が言い争っているうちに、東門の方から小百合と3人の家来が姿を現わした。その様子を見て武広は唖然とした。鎧に身を固め薙刀を持った小百合は返り血を浴びている。武広はふと昔、じゃじゃ馬だった小百合のことを思い出した。
「小百合さま、ここは危険です。一緒に城外へ出ましょう」
「武広殿、ほっといてください。私は殿と一緒に館に入ります。今生の別れとなりますね」
「貞清さまから戻ってこいとのお達しです。あなたを連れ出さねば、私は殿に申し開きができない。たってのお願いです!」
武広と小百合が言い合っていると、3人の家来が彼に詰め寄ってきた。
「そこをどけ! どかぬと斬るぞ!」
3人は小百合を護衛しながら、忠則のもとに集まった。
「悪く思うな。こうするしかない。貞清殿によしなに伝えてくれ」
忠則はそう言うと、小百合をかばうようにして館の中に入っていく。その後に抜刀した3人の武者が武広を睨み付けながら続いた。(続く)
 

小笠原貞子さんは吉永小百合の叔母さんだって!?

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月 5日(火)16時46分3秒
  小笠原貞子さんと言っても、今は知らない人がほとんどだろう。小笠原さんは故人だが、彼女は日本共産党の参議院議員だった人で、かつて4期24年も議員を勤めた。その人が女優・吉永小百合の叔母だって・・・? その話を知った時、私は非常に驚き今も半信半疑である。
しかし、本当だと思って話を続けよう。もし間違っていたら、この記事は直ちに削除するか訂正する。事実をいろいろ知っている方がいるなら、ぜひ教えてもらいたい。冒頭に、それをお願いしてからとにかく記事を書いていこう。
昔、1970年ころだったか、私は某テレビ局の政治記者をしていた。政治記者というのは国会を中心に取材活動をするのだが、私は「野党」担当だった。そのころの野党は社会党を中心に公明党、共産党、民社党などがあり、主に衆議院を取材していた。
ということは、参議院の方はあまり関心がなかったが、小笠原さんは数少ない女性の共産党議員だからか印象に残っている。彼女は当時50歳ぐらいか、色白でふくよかな感じのわりと背の高い大柄な人だったと思う。国会の廊下を歩く彼女を何度か見かけたのを覚えている。
余談だが、私の先輩記者・Kさんの奥さんが札幌出身で、その母親が札幌の高等女学校時代にバレー部で小笠原さんと一緒だったというから、背が高く大柄だったのもうなずける。とにかく、女性議員の中では目立つ存在ではなかったか。
私は直接、小笠原さんに取材したことはなかったが、どうしても忘れられないエピソードがある。それは当時の官邸キャップ(現場の統括責任者)のMさんが語ったことだ。Mさんはもちろん先輩記者だが、彼は元華族の血筋を引く人で、相当に保守的、体制寄りの記者だった。
保守的というより、むしろ右翼に近かったのではないか。その人がある日、予算委員会か何かの審議で、小笠原さんの質疑を聴いてもの凄く感動したのである。
「いや~、あんなに素晴らしい人はいない。質疑を聴いていて涙が出てきたよ。俺はもう小笠原ファンだ。共産党にもああいう人がいるんだな。とにかく胸が揺さぶられたよ」
詳しい内容は逐一覚えていないが、Mさんは小笠原さんの質疑に心から感激したのだ。ある記者が少し質問したが、どうも福祉か教育のことだったらしい。私はその委員会質疑を聞かなかったのを残念に思ったが、体制寄りの右翼的なMさんがこれほどまでに感動したのを初めて見た。
エピソードとはそういうことだが、その時の様子は今でも忘れられない。国会質疑で感動するのはたまにはあるが、これほど印象的なシーンは今までになかった。そういうわけで一文を書いたのだが、きっかけは小笠原さんと吉永小百合との関係である。
以下に出所を明らかにするが、今野浩氏という人が「スプートニクの落とし子たち-理工系エリートの栄光と挫折」(毎日新聞社、2010/6/19発行)という著書を出した。それを大衆文化評論家の指田文夫氏が引用して記事にまとめたのである。(参考→ http://blog.goo.ne.jp/goo1120_1948/e/41b0c0b9d8738581358857fd3b16dd68
それによると、今野氏の知人である後藤公彦氏(故人)の従姉妹が吉永小百合で、彼の母親が実は小笠原貞子さんだというのだ。彼女と吉永の母親(和枝さんと言う)は姉妹だから、小笠原さんは小百合さんの叔母に当たるというのだ。
この話を聞いた時、私は正直言って驚いた。吉永小百合があの小笠原さんの親戚だって!? 本当か? 本当でも間違いでも、とにかく小笠原さんの思い出を書こうと思い、こうして記事にしたのだ。
もちろん、指田氏が言うように「誰が誰と親戚だとしても、問題はない」。それは分かっているが、自称・サユリストである私は放っておけなくなったのだ。それより、小笠原さんや先輩記者のMさんのことを思い出しこうして記事にした。文中、間違ったことなどがあれば訂正してもらい、正しいことを教えてもらいたいと重ねてお願いするものだ。(2017年12月5日)
 

歴史ロマン『落城』(44)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年12月 2日(土)11時35分32秒
編集済
  始めのうちは北門と東門が主戦場だったが、公方方の兵はやがて西門辺りにも殺到した。しかし、藤沢城は前にも述べたように、堀が深く土塁が高くできており、それに逆茂木(さかもぎ)が多くて頑丈なため突破するのはなかなか困難だった。また少人数とはいえ、守備側が必死に防戦したため戦いは長引いてきたのである。
城に戻った藤沢忠道は、忠則に会うやいなや言い放った。
「忠宗は討ち死にしたぞ! 見事な最期だった。われわれも覚悟を決めようぞ」
「父上、それがしも覚悟はできています。最後の戦(いくさ)をしましょう」
「うむ、お主は城の主(あるじ)だ。立派に武士の本懐を遂げよ」
そう言うと、忠道はわずかな手勢を引き連れ再び北門の方へ立ち去った。それから暫くして、待ちに待った詩織が忠則夫妻の前に現われた。
「お子さま方は無事に志乃さまのもとへお連れしました。もうご心配は無用です」
「おお、それは大儀だった。あとは母上が見てくれよう」
「ご苦労さまでした。大変だったでしょう。これで幸も国松も息災でいてくれます。安心しました」
詩織の報告に、忠則も小百合も胸をなでおろし笑顔を見せた。子供たちは無事に鎌倉のある寺に保護されたのだ。もう思い残すことはない。これで心置きなく戦うことができる。忠則にはもう迷いはなかった。父や弟に負けず敵を迎え撃とう。彼の心に“城主”としての誇りがみなぎった。
一方、館に入った武広と佐吉は奥の間へ行こうとしたが、数人の武者に阻まれた。
「使者として参ったぞ。そこを開けてほしい」
武広がそう言っても、彼らは行く手を阻んで動かない。
「殿の厳命です。通すわけにはいきません」
顔見知りの中年の武者が頑として答えた。
「なにっ、この方は特命を帯びた軍使殿だ。そこを通せ!」
佐吉が刀の柄(つか)を握り詰め寄ったので、緊迫した空気が流れた。
「待て、いたずらに事を構えてはいけない。われらが参上したことだけでも、殿に伝えてもらいたい。急いでいるのだ」
武広が佐吉を制してそう言うと中年の武者は黙っていたが、しばらくして奥の間へと姿を消した。だが、そのあと、いつまでたっても姿を現わさない。武広らはしだいに焦ってきた。日暮れが近づき周りは薄暗くなってきた。その時、外で一斉に矢が放たれる音がしたのだ。
「火矢か?」
「そうでしょう。見てきます」
佐吉が急いで館の外へ出て行ったが、やがて戻ってくるとこう叫んだ。
「火矢の一斉攻撃です! このままでは館が燃え尽きます!」(続く)
 

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