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永遠の大女優・原節子

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 5月19日(土)15時52分39秒
  <2012年3月に書いた以下の記事を復刻します。>

先日、DVDを借りてきて見たが、戦前(1939年・昭和14年)の映画『上海陸戦隊』と言うもので、若い頃の原節子が出ているというからレンタルしてきた。
ところが、見てがっかり! 原節子がシナ(今の中国)の少女を演じていて、端役だからほとんど出てこないのだ。DVDのケースの表紙に騙された感じだ。(表紙には原節子の名前や写真が載っていた。)
役柄も日本に激しい敵意を持っている“汚らしい少女”で、やたらに唾を吐いたりする。見ていて嫌になった。完全に“汚れ役”なのだ。原節子はその頃(19歳)、すでに新進女優として売り出していたのに、どうしてこんな役をするのかと疑問に思った。そこで、調べたら何となく分かった。
彼女の義兄(次姉の夫)である熊谷久虎監督が、この映画のメガフォンを取っていたのだ。原節子は貧しい家庭で育ったので、熊谷監督が映画界に誘ったという。だから、義兄の言うことには従わざるを得なかったのではないか。
また、この映画は日本海軍後援の「上海事変」を扱った国威発揚のものだから、どんな役でもやらざるを得なかったのか。「陸戦隊」というのは海軍のもので、今で言えば「海兵隊」みたいなものである。それにしても、こんな汚れ役の原節子は見たことがない。

前置きが長くなったが、原節子ほど人気のある日本女優はいなかったのではないか。10年前(2000年)、20世紀の最後だというので『キネマ旬報』が「20世紀の映画スター」を選んでもらったら、日本では彼女が堂々の第1位に輝いた。これは当然だと思う。
年配の方ならおおよそ分かっていると思うが、これほど美しく気品のある女優はほとんどいなかったのではないか。私は日本の3大美人女優(3大スター)の1人だと思っている。あとの2人については言わない。それは各人によって好みが違うから、ここで論議するのは止めよう(笑)。ただし、原節子が3大スターの1人であることは間違いないと思う。
私は昔から、原節子は欧米で言えばイングリッド・バーグマンのような“存在”だと思っていた。バーグマンも美しく気品があり、2人の活躍時期はほぼ同じなのだ。ちなみに、バーグマンの方が5歳年上である。
ところが、一般には原節子は、バーグマンの先輩で同じスウェーデン人のグレタ・ガルボに例えられる。伝説的な大スターであったグレタ・ガルボは“美のスフィンクス”と呼ばれたが、わずか36歳で引退。同様に原節子も42歳で引退したのだ。2人はその後、公けの場にいっさい姿を現わさず、ひっそりと隠棲生活を続けた。引き際の見事さがよく似ているのだろう。

原節子は日本人離れした容貌をしていたと思う。顔の輪郭、目鼻立ちがはっきりしていて、まるで外国人のようである。何か“大輪のバラ”を見ているようだ。特に眼の輝きが印象的で、子供の頃から「千里眼」「5センチ眼」などと綽名を付けられた。5センチ眼とは、目頭から目尻まで5センチあるという意味だ。
それほど容貌が鮮やかなのだが、不思議なことに極めて日本的なオーラ(雰囲気)を醸し出す。そこが私には“謎”である。何故だろう。性格なのか、演技力なのか・・・
伝説の大女優・原節子は、今もひっそりと鎌倉に隠棲を続けられているそうだ。御年91歳。その27年にわたる映画人生は、日本人には決して忘れられないだろう。
今日は“汚れ役”の原節子を見てがっかりしたが、書く切っ掛けになったから良かったかもしれない。 なお、原節子に関する克明なデータ写真集が見つかったので、それは末尾にリンクしておきたい。(2012年3月9日)

注・・・原節子は2015年9月5日に他界した。95歳。

原節子のデータ写真集・・・http://www.geocities.jp/yurikoariki/harasetuko
 
 

韓国のある英雄的な出来事

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 5月16日(水)15時56分24秒
  韓国の高速道路で気を失ったドライバーがのろのろ運転をし始め、車はガードレールに接触したりして制御できなくなった。この時、後ろから走ってきたある車が、その車を追い越して徐々にスピードを下げ、意図的に追突させて2台とも停止した。
ある男性の車は“追突事故”で後部が少しへこんだが、大した事故にはならず、その後、気を失ったドライバーは救急車で無事 病院に収容されたという。これは今日、某テレビ局が放送した話だが、韓国ではある男性の決断と行為が、英雄的で素晴らしいものだと評判になっているそうだ。
男性は追突事故による車の修理にそれほど金はかからないと言っていたが、この話を聞いて、感激したヒュンダイは約200万円の新車を男性にプレゼントするという。また、警察も一般的な追突事故として扱うのを止めたそうだ。つまり、さらなる大事故を未然に防いだということか。
日本では「安全第一」が徹底しているから、こういう事態にはまずならないだろう。私もその場に居合わせたら、安全第一でさっさと通り過ぎるに違いない。君子危うきに近寄らず、余計なトラブルには巻き込まれたくないからだ(笑)。また、某テレビ局もその男性を褒めてはいなかった。他に何か手はなかったかなど、云々という感じだ。
しかし、こういう話を聞くと(良い悪いは別にして)、韓国の方が日本より“英雄的”な感じがする。日頃、韓国に対しては厳しいことを言っているが、いざという時は、韓国の方が大胆で決断が早いのではないか。日本は慎重なのは良いが、国会でも社会でもどこでも、グズグズしてなかなか結論が出ないことが多い。
以上、韓国のある出来事について感想を述べたまでだ。詳細に全てを知っているわけではないので、その点はお許し願いたい。(2018年5月16日)
 

2018年の日記①

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 4月29日(日)04時15分8秒
  https://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/32a74e7e8822b0e95a91e304e25c5bf3  

東京五輪について

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 4月 8日(日)10時32分46秒
  酷暑、炎熱地獄の東京五輪(7~8月)は、10月に延期すべきだ!
さもないと、熱中症で倒れる人が続出するぞ!
 

年寄りの昔と今(一言集)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 3月30日(金)09時49分1秒
編集済
  年寄りは 今やろうとしていたことをもう忘れる
年寄りは昔 美人によろめいたのに、今は足元がよろめく
年寄りは昔 駅の階段を勢いよく駆け上ったのに、今はエレベーターにすぐに乗り込む
年寄りは昔 恋人に会って喜んだのに、今は孫に会って喜ぶ
年寄りは昔 若妻の顔にキスしたのに、今は老妻から顔をそむける
年寄りは昔 ラブレターを心待ちにしていたのに、今は年金通知を待ち望む
 

塩野七生さんと桐島洋子さん

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 3月26日(月)07時33分7秒
  <以下の記事は2010年7月20日に書いたもので、時制はそのままにしてあります。最近、塩野七生さんを話題にしたので復刻しました。>

ふと女性のことを書きたくなった。と言っても私は女性に詳しくないので、かつて面談したことのある人の中から、印象に残る2人について書いてみたい。前もって断っておくが、ろくな文章にはならないと思うのでお許しを(笑)。
さて、20年ぐらい前だったか、私が某テレビ局の夜のニュースを担当していた時、キャスターの木村太郎氏(現在も活躍中)と相談して、毎晩“時の人”をゲストに迎えいろいろ話をしてもらったことがある。大抵は政治家や財界人などの男性が多かったが、時には文化人、評論家、作家らにも出てもらったりした。その中にはむろん女性もいたのだが、今でも印象に残る人が2人いる。それが塩野七生(ななみ)さんと桐島洋子さんだ。
拙文を書く前に、経歴でも知っておこうと下調べをしたら笑ってしまった。お二人とも1937年(昭和12年)生まれの73歳で、なんと桐島さんが7月6日、塩野さんが7月7日の誕生日で一日違いなのだ。偶然とはいえ、これには驚いた。1937年生まれの女性は印象に残るのだろうか。

さて、20年も前のことだから、お二人が話した内容などほとんど忘れてしまった。ただし、2人とも実に“雰囲気”が良かったのを覚えている。全く違う雰囲気(オーラ)だったが、塩野さんは優雅な中にも毅然とした佇まいがあった。
作家の彼女は『ローマ人の物語』などで有名だが、当時はたしか世の男性たちを叱咤激励するエッセイを書いて話題になっていたと思う。調べてみたら、『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』というのを書いていた。このエッセイが話題になったから、ゲスト出演してもらったのだろう。
その本は読んでいないが、塩野さんの話ではたしか、日本の男性は柔弱で臆病でプライドがなく、要するに“男らしくない”のが多いというキツイお叱りだったと思う。普通の男である私なんか耳が痛くなるが、塩野さんはジュリアス・シーザーやチェーザレ・ボルジアなど、いつもローマの英雄ばかりを語っているから、情けない日本人男性に活を入れたくなったのだろう。日本の男よ、強くなれ! ということだが、時代も国柄も違うので、そうはいかないよと塩野さんに反論したいところだが、墓穴を掘るから止めておこう(笑)。

一方、桐島さんは当時50歳を超えていたものの、独特の女らしさを醸し出していた。はっきり言って、女の“色気”を感じさせる人だ。彼女は「シングル・マザー」の元祖みたいに言われ、その破天荒な生き方は世の女性たちの憧れの的だったらしい。ちょうど、男女雇用機会均等法(85年法)が施行されて間もない頃だっただけに、桐島さんの生き方が注目を集めていたのだろう。
調べてみると、彼女は50歳過ぎを“林住期”と位置づけ、『華やぎの午後のために』といったエッセーを書いているが、人生の秋を迎えてもまことに“華やいだ”雰囲気に見えた。桐島さんのような女性は珍しい。一種の女傑だ。普通の女性が真似をしようと思っても、ヤケドをするから止めた方が良いのではないか。
自由奔放な生き方をした桐島さんも、45歳で12歳年下の男性と結婚した時は、世のシングル・マザーたちはショックを受けたという。これを“クロワッサン症候群”と言うのだそうだ。まあ、50歳を過ぎても艶っぽい女性というのは少ないだろう。
以上、心に残る2人の女性のことを書いたが、ご健在であることを祈りたい。(2010年7月20日)
 

<歴史ロマン> 藤原薬子と平城天皇(7)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 3月18日(日)14時16分55秒
  そして延暦13年(794年)、都が平安京に移る時がやってきた。長岡京と別れるのだが、これには藤原仲成と薬子の兄妹は悲しい気持にならざるを得なかった。というのは、2人の父である藤原種継(たねつぐ)が長岡京の造営に多大の貢献をしたからである。
種継は桓武帝の信認が厚く、長岡京遷都の最高責任者として全力を挙げて尽くした。ところが延暦4年(785年)9月のある日、新都造営の監督中に矢で射られ殺されてしまったのだ。桓武帝は大いに怒り、暗殺犯として10数人の者を捕らえて処刑したが、種継暗殺の陰には多くの謎が秘められていたようだ。
ある日、仲成は薬子に言った。
仲成 「長岡京を去るのは忍びがたい。亡き父上が全力を尽くしたのに、結局 報われなかったのだ。われわれが平安京に移ろうとも、父上の無念を決して忘れてはならん」
薬子 「私も同じ思いです。でも、帝(みかど)が正体不明の“怨霊”に悩まされているようでは、ここは都としてふさわしくないでしょう。残念ながら、平安京に移るしかありませんね」
仲成 「うむ、やむを得まい。新都に移れば帝も気分一新、政(まつりごと)に励まれるだろう」
薬子 「はい、そう思います」
仲成 「ところで、薬子、安殿さまはたまにはお前の所にお忍びで来られるか?」
薬子 「まあ、ぶしつけなことを・・・数日前に来られましたよ」
そう言って、薬子ははにかんだ笑みを浮かべた。
仲成 「そうか、相変わらずお前に“ご執心”ということだな。それは良いぞ、はっはっはっは」
薬子 「冷やかさないでください。殿下はだいぶ慎重になられたし、こちらも十分に気をつけています」
仲成 「縄主(ただぬし)殿はどうか?」
藤原縄主とは薬子の夫である。
薬子 「夫は仕事で出かけることが多いし、自分も外で遊んでいるのでしょう。気づいているでしょうが、何も言いません。お互いさまですね、ほっほっほっほ」
仲成 「ふむ、妻の相手が皇太子さまでは何も言えまいな。ただし、帝の怒りには絶対に触れてはならん。新都に移っても十分に気をつけよう」
仲成がそう言うと、薬子も大きくうなずいた。数日後、兄と妹は思い出深い長岡京を去っていったのである。(続く)
 

断捨離だ! ゴミ出しはジジイの仕事

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 2月26日(月)14時42分8秒
編集済
  <おことわり・・・ゴミ出しジジイの戯言なので大目に見てください>

昨年9月に妻が入院・手術をしたために、一時、すべての家事や雑務をせざるを得なくなった。といっても、夫婦2人暮らしだから大した仕事量ではない。しかし、ふだん一切の家事を妻に任せていた亭主関白(?)の自分にはショックだった。
具体的には食事、洗濯、ゴミ出しが主な仕事だ。このうち、食事と洗濯は大したことではなかった。食事は、料理とまったく無縁な自分はスーパーやコンビニで弁当や総菜を買うしかなかったが、店に通ううちにそれらを買うのがかえって楽しくなった。
スーパーなどには様々な弁当や総菜があり、物色するのが楽しくなったのである。本当に便利だった。また洗濯も、全自動の洗濯機に下着などを入れてしまえばすべてOKである。あとは干してたたむだけだ。
問題はゴミ出しである。私の地域ではゴミを7種類に分けなければならない。これがけっこう面倒で、生ゴミやプラスチック、瓶や缶、ペットボトルや破砕ゴミなどに分別しなければならない。慣れた人は何ともないだろうが、初めての体験に私は手間取った。ふだん、一切の雑務をしなかった報いである。
最も面倒なのは、新聞や雑誌など紙類の整理だ。特に新聞はかなりの広告が入っているから、すぐに分量が増える。また郵便物や他の広告がポストに入るから、紙・ペーパー類のゴミの量はアッと言う間に増えてくる。こんなことは誰でも分かっていることだが、それまでゴミ処理をほとんどしたことのない自分は唖然としたのだ。
惰性で新聞を取っていた私は、老眼で目が悪いのであまり紙面を読まない。大相撲の記事だけはよく読むが、最近は政治や社会面の記事もほとんど読まない。ニュースはテレビやネットでだいたい分かるのだ。そこである日、某全国紙の購読を止めることにした。
新聞を何十年も取っていたので少し寂しかったが、購読を止めると、紙類のゴミは一挙に減ってその処理が実に楽になったのである。ただし多少の“腐れ縁”で、共産党の『赤旗』日曜版だけは、薄っぺらで大したゴミにならないから取り続けることにした。
こうして家事や雑務に慣れていったが、退院した妻が健康を回復すると、またほとんど何もしなくなった。しかし、いつ何が起きるか分からないので、ゴミ出しだけは自分が担当しようと決め、1週間のうち3~4回は近くのゴミ収集所に通うことになった。
これが時には重い物も運ぶので、運動にはけっこう良い。今はすっかりゴミの“運び屋”になった。自分の体が大丈夫なうちはずっと続けるつもりだが、そのうちよく『断捨離』という言葉を思い出すようになった。ご存知『断捨離』は何年か前から流行っている言葉だが、まさに自分はいつも『断捨離』を実行している気分になったのである。
モノを大切にする気持ちは良いが、一方ではモノを整理することも必要だ。その兼ね合いがポイントになるが、それはモノを整理していくうちに何となく分かってくるのだろう。現代は「モノ」が有り余っている。自分なりに考えて実行していこう。(2月26日)
 

『朝まで生テレビ!』を見て

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 2月24日(土)12時22分33秒
編集済
  夜中に目が覚め、オリンピックのカーリング女子はどうなったのかと調べたら、準決勝で韓国に惜敗、残念だな~と思いながらチャンネルをいじっていたら、テレビ朝日が『朝まで生テレビ!』を放送していた。
久しぶりなので見ると、なんと今日はパネリスト全員が女性ではないか! 頭のいい弁舌の達者な女性が10数人も出ている。テレビでよく見かける人も何人かいた。今日のテーマは何か知らないが、雇用や労働のあり方、少子化や保育所の問題、はては夫婦別姓の問題や外国との比較などを熱心に議論している。
面白そうなのでそのまま見ていたが、司会の田原総一朗さんは相変わらず元気そうだ。ズバッ、ズバッと言うのが彼の特徴で、昔とまったく変わらない。83歳の高齢にしては若々しいし見事なものだ。そのうち、昔のことを思い出した。
あれは30年ぐらい前だったか、当時、フジテレビの夜ニュース担当だった私が、何のテーマだったか忘れたが、彼と木村太郎キャスターとの対談を企画したことがある。その打ち合わせで、まだ始まって間もない『朝まで生テレビ!』について、田原氏はだいぶ気になっていたようだ。
ああいう生番組は珍しいし、当時は批判的な悪評も出ていたと記憶する。それもあってか、こちらが聞きもしないのに、田原さんはこの番組の話をいくつかしていた。自分は「いいじゃないですか」と、たしかお世辞半分に答えたと思うがくわしいことは忘れた(それ以来、田原さんと話したことはない)。
あれから30年以上たったが、『朝まで生テレビ!』は立派に続いている。ご同慶の至りだ。ところで、この番組は自由活発に議論するから、しばしば本題から外れることがある。しかし、それがまた興味深い。例えば今日は、男女の役割かなにかを議論している時に、田原さんは、先ごろ自殺した評論家の西部邁(すすむ)さんについて語った。
西部氏が「もう死にたい」とよく言っていたのは、ご遺族の話としてテレビで聞いたが、田原さんによると、奥さんが亡くなって西部氏は大変なショックを受けたという。同様に、元東京都知事の猪瀬直樹氏も、先ごろ奥さんが亡くなってショックを受けているそうだ。
田原さんはさらに、文芸評論家の江藤淳氏が以前、亡き妻の後を追うように自殺した話をしていた。彼が身につまされるように話すので、私もついわが身を思ってしまう。女房が先に死んだら、自分はどうなるのか・・・という風に、本題以外の話がとても興味深いことがある。
西部氏の自殺については、私も何故、何故、何故と疑問に思っていたのだ。これで何か分かったような気がする。普通の報道番組では、本題以外に話がそれるというのは滅多にない。しかし、『朝まで生テレビ!』は談論風発だから、いくらでも本題から外れる。そこがまた魅力があり、思わぬ情報が入ってくるのだ。
それにしても、パネリストが全員女性とは驚いた。今日の放送では、ある女性が「男女問題をやっているのだから、男性にも出席してもらえばいいのに」と語っていたが、それは本当だろう。しかし、出席した男性は集中砲火を浴びるに違いない(笑)。
どうせなら、私も本題から外れたい。パネリストの女性はみな頭が良く、弁舌が爽やかで魅力的だったが、中でもある政党の女性議員はとても美人だった。才色兼備とはああいう人か・・・ 男は美人に弱い。これ以上言うと、私もボロが出るのでこの辺で止めよう(笑)。失礼しました。 (2018年2月24日)
 

<歴史ロマン> 藤原薬子(6)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2018年 2月21日(水)16時10分50秒
  安殿(あて)が戻ると、さっそく薬子が呼び出された。敏感な彼女は安殿の表情を見るなり、一大事だと悟ったようである。
薬子 「殿下、いったい何事があったのでしょうか。顔色が優れませぬ」
安殿 「うむ、いま帝(みかど)に呼ばれてこっぴどく言われた。そなたを女官長からすぐに外せとな」
薬子 「まあ・・・」
安殿 「私はそれはできないと強く反対したが、帝のご意思は想像以上に固かった。それで、もしそなたを女官長から外さなかったらどうなるのかと聞いたら、その時は私を皇太子の位から降ろすというのだ」
薬子 「まあ、何ということを・・・」
安殿 「だから、聞いてくれ。私はもちろん皇太子の位を譲るつもりはない。それが他の親王(みこ)に渡ったら、私の将来はもうなくなる。だからこの際、断腸の思いでそなたに身を引いてもらうしかないのだ。分かってくれるな」
薬子はしばらく黙っていたが、やがてきっぱりとした声で答えた。
薬子 「よく分かりました。殿下が皇太子の位を廃されては、何にもなりません。私も兄も殿下だけを頼りに生きて参りました。それに比べれば、女官長の地位などどれほどのことがあるでしょうか。すぐにも辞めさせていただきます。私が願うのは、殿下の末永いご健勝だけです。どうぞよろしくお取り計らいください」
安殿 「よく言ってくれた。これで私も安心したぞ。あとは都が平安京に移ろうとも、帝がいつまで生き永らえようとも、私のそなたへの想いは変わらない。いずれわれわれの天下になるのだ。それまでじっと我慢してくれ」
薬子 「はい、承知しました。ただし一つだけ、お願いがあります」
安殿 「なんだ?」
薬子 「娘の久子のことですが、殿下の妃として、変わらぬお取り計らいをお願いいたします」
安殿 「おう、分かった分かった、そうしよう。さて、今夜がそなたとの最後の“契り”となるのか・・・心ゆくまで交わろうぞ」
安殿の一言に、薬子は少し顔を赤らめた。このあと、2人はある塗籠(ぬりごめ)に入ると情事に没頭した。当分はこれが最後の交わりだと思うと、2人は時の過ぎるのも忘れて身を焦がしたのである。(続く)
 

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