teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


8月16日(水)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月16日(水)14時47分45秒
  まるで「梅雨」みたいな毎日だ。雨ばかり降ってけっこう寒い。午後、自室に戻ったら寒いので暖房を少しつける。真夏の午後に暖房とは初めてか? エアコンも驚いているだろう(笑)。
昨日は娘と孫3人が来たので、狭山の親戚の家に盆の迎え火に行く。
室町時代の小説を書いているせいか、足利尊氏の夢を見た。尊氏公はゆったりとしていてなかなか格好が良い。尊氏様に初めて拝謁する。
米朝関係は緊張が少しほぐれた。デッドラインすれすれまで行って対話に傾く。いつものパターンだ。
 
 

歴史ロマン『落城』(26)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月15日(火)04時56分39秒
  このあと、氏憲は藤沢家に養子として入った“実子”の忠宗と会い、2人だけでけっこう長く話し合った。密談だったが、2人が何を話し合ったかはだいたい察しがつくだろう。氏憲の一行が帰ったあと、忠道はすぐに忠則と忠宗、それに志乃の方を呼び寄せた。
「氏憲公はもう我慢ができないと言っていた。一日も早くお味方をしなければ、藤沢家は間違いなく攻撃を受けるだろう。そして、取り潰しに遭うに違いない。 忠則、もう中立だなどと言っている場合ではないぞ! 早急に氏憲公にお味方しよう。そう決断すべき時だ」
忠道の激しい口調に、忠則は困惑の表情を浮かべて答えた。
「父上、待ってください。氏憲さまのご意向は分かりますが、幕府は氏憲追討の決定を下したやに聞いております。それはもうすぐ明らかになるでしょう。さすれば、当家は幕府軍と戦わねばならなくなります。したがって、まだ当分の間は各大名の動向を見守り、結論を出すのが賢明かと思われます。急ぎすぎては、対応を過つ危険性があります。ここはどうか、じっくりとお考えください。お願いいたします」
忠則の必死の説得に忠道はしばらく無言でいたが、やがて苦渋に満ちた表情で口を開いた。
「忠則、そなたの言うことも分かる。しかし、わしは氏憲公に長い間 仕えていろいろ恩義を賜ったし、忠宗を養子に頂いたりした。今さらあの人を裏切るわけにはいかない。そのことはよく分かるだろう。ここで態度をはっきりと決めなければ、もう残された時間はないのだ。そのことは志乃も忠宗もよく知っているだろう」
忠道の確信に満ちた言葉に、志乃も忠宗もうなずいた。しばらくして忠則が何か話そうとすると、忠宗がそれをさえぎるように言った。
「父上、兄上、先ほど氏憲さまと話し合ったことを報告します。氏憲さまは藤沢家が中立を固執し続けるならば、それがしの養子縁組を破棄し、ただちに上杉家にもらい受けるとの仰(おお)せでした。私もそれに同意しました。もし、これにご不満があるというなら、私をただちに成敗してください!」
忠宗の決然とした言上(ごんじょう)に、その場は静まり返った。どうやら勝負はついたのか・・・ 忠道も忠宗も志乃も、忠則の次の言葉を待っているようだ。やがて、忠則が重い口を開いた。
「分かりました。これ以上、話し合っても同じことです。忠宗は私の大事な弟です。いつまでも藤沢家に残って欲しい。ただ、あと1日だけ猶予をください。私はこのことを小百合に話し、納得のいく結論を出したいと思います」
「よかろう。奥方の気持も十分に配慮するようにな」
忠道が大きくうなずいて答えた。4人の話し合いが終わり、忠則は自室に戻った。そこには小百合が心配そうな顔つきで待っていた。子の幸(ゆき)と国松はとっくに寝ている。忠則は改まった様子で座ると、先ほどの4人の話し合いの内容を小百合に報告した。彼女は黙って聞いていたが、さもありなんという覚悟の表情を見せた。
「分かりました、ご苦労さまです。このことはすぐに、山口の兄に知らせてもよろしいですか?」
「もちろんだとも。私からも、貞清殿にお詫びの書状を送るつもりだ」
2人はそれ以上の会話を交わさなかった。無言である。来るべきものが来たという感慨が2人の心をよぎった。藤沢家と山口家は、こうして“敵対関係”に入ったのである。(続く)
 

8月12日(土)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月12日(土)16時22分57秒
  今週は北朝鮮がミサイルを日本の頭越しにグアム島海域に発射する計画があると発表し、アメリカや日本と緊張状態に入った。あとは政治の動きは特にない。
「ポーチュラカ」という花が気に入って購入、近所のフジテレビOB先輩の誕生祝いに鉢植えを贈った。この花は昼間に咲いて夜はつぼむ。ラテン語の「門」という語から来たもので、開いたり閉じたりする。松葉牡丹に似ているそうで、10月ぐらいまでは咲くという。可憐な花だ。
 

歴史ロマン『落城』(25)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月12日(土)14時58分38秒
  しばらくして、氏憲方の連合軍1000人余りが山口城に攻めかかってきた。守る方はわずかに約130人である。しかし、兵力の差は圧倒的であっても城を攻めるのはけっこう難しい。守る方は地の利を得ているからだ。昔、楠木正成の軍勢が山城にこもり、鎌倉幕府の大軍を少人数で撃退したことは誰でも知っている。
だから、氏憲方の連合軍も山口城を見くびってはいない。最初から猛攻をかけてきた。矢が雨あられと降りそそぐ。中には“火矢”もかなり含まれていて、山口勢は防戦、防火に大わらわとなった。味方は3班態勢をとり、第1班と第2班はそれぞれ約50人で和田信春と稲村幸正が指揮をとっている。
武広は第3班の約30人の指揮官だが、この班は遊軍的な性格を持っていた。情勢に応じて戦闘や補給、偵察など何でもこなす部隊である。この中には、武広が親しくしている農夫の庄太もいた。
「殿、久しぶりの戦(いくさ)ですよ。腕が鳴りますな~、はっはっはっは」
「戦いは長引きそうです。十分に気をつけてください」
彼は気持よさそうに笑ったが、武広は気を引き締めるように答えた。そして、館の方を見ると、女性たちが負傷者の手当てはもちろん、炊き出しなどで忙しく働いている。その中に、かいがいしく動く“たすき掛け”の小巻の姿もあった。こうして、山口城をめぐる攻防戦は次第に激しくなっていったが、頼みの援軍は石神井の方からまだ来なかった。

一方、鎌倉周辺の情勢は氏憲方が圧倒的に優勢だった。氏憲はすぐ北の藤沢氏に目をつけ、使者を出して藤沢忠道との面会を求めた。すでに述べたように、忠道は長年 氏憲に仕えて主従関係にあったため、当然、味方するようにとの催促である。ところが、当主の忠則は「中立」を堅持しており、氏憲方になかなか与(くみ)しようとはしない。
業を煮やした氏憲は、みずから藤沢城に乗り込むことにした。そして11月初旬のある日、氏憲は20数人の家来を引き連れて藤沢を訪れ、忠道にただちに面会した。彼は飛ぶ鳥を落とす勢いの氏憲に平伏する。
「殿、ご無沙汰しております。ご機嫌うるわしく拝察いたします」
すると、氏憲は威嚇するように詰問した。
「挨拶はどうでもいい! 当家はわが方の味方ではないのか? 早急に態度を決めてくれ」
「息子(忠則)は藤沢家は中立だと言っております。しかし、それがしは同意しておりません。今しばらくお待ちください。必ず、殿にお味方するようにいたします」
「そうか、一日も早くそうしてくれ」
忠道の答えに氏憲は納得したのである。(続く)
 

歴史ロマン『落城』(24)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月 7日(月)12時02分46秒
  それから数日後、武広らが心配していたことが現実になった。姉の忍がいた柴山城がついに陥落したのである。これは“山伏”に扮した密使が知らせに来たもので、主君の柴山盛久や夫の後藤吉勝は討ち死にし、くわしいことは分からないが、忍らは秩父方面へ脱出し逃げているというのだ。
やがて、上野や下野、下総(しもうさ)などの氏憲方の連合軍が山口にも近づいてきた。抵抗する領主はことごとく制圧する模様だが、山口貞清は断固として戦う決意を固めたのである。これは父・武貞の了解も得ており、彼は主だった家臣を集めて次のような指示を出した。
「この城はけっこうな要害の地だ。兵員は少なくても、十分に抵抗できる。土塁にはすでに防護柵をつくったが、空堀(からぼり)には逆茂木(さかもぎ)などをどんどん設けよう。あとは弓矢で徹底的に応戦し、援軍の到来を待つのみだ。味方は必ず救援に駆けつけてくれるだろう。それまで断固として戦うのだ」
貞清はこう言ったが、若さのせいもあってだいぶ“希望的”な観測だったと言えよう。しかし、家臣らも戦う決意を固め、山口家は徹底抗戦の最後の準備に入った。山口城はいわゆる「平山城(ひらやまじろ)」と言って、山岳にある「山城」よりは食料や武器、物資が運びやすいのである。家臣や家来たちは大急ぎでそれらを城に運び込んだ。
このあわただしい雰囲気に、太郎丸は父の武広に聞いた。
「父上、戦(いくさ)が始まるのですか?」
「うむ、そうなりそうだな」
すると、4歳の太郎丸は急に元気な声を出した。
「よしっ、“それがし”も出陣するぞ!」
「まあ、この子ったら、まだ早すぎますよ」
小巻が呆れたように諭したが、武広は笑ってむしろ満足そうな表情を見せた。戦を喜ぶのは男の子だけなのか・・・ こうして、山口城の臨戦態勢は整っていった。そして、貞清が援軍を頼んだのは、妻(牧の方)の父である石神井城の豊島(としま)範泰である。豊島氏は山口家よりもずっと大きな“身代”であり、多くの兵員を抱えていたからだ。

ちょうどその頃、鎌倉公方方にも明るい情報が入った。それは安否が不明だった足利持氏が、駿河国まで逃げ延びて今川範政(のりまさ)に保護されたというのだ。また、同じく逃亡していた関東管領の上杉憲基は、越後国にいる伯父の上杉房方(ふさかた)のもとへ落ち延びたという。
これで京都の室町幕府は、公方と管領を助けるために、氏憲らの勢力を駆逐する方針を決めた。そして、関東を中心とした諸大名・諸豪族に呼びかけ、軍勢を動員して討伐作戦を開始するよう命じたのである。しかし、緒戦の勝利で氏憲方の勢力はまだ非常に強かった。関東を二分する大がかりな戦乱がこうして始まったのである。(続く)
 

8月5日(土)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月 5日(土)16時18分36秒
  近所のスーパーやコンビニがもの凄く混んでいた。暑さ逃れか、単なる休日のせいか。 大型の台風5号が九州南部に近づいている。日本列島を縦断するのか。
民進党の細野某らが脱党し、新党「国民ファースト」と一緒になるらしい。民進党はいつもこんな感じだ。前原某も言いたいことを言っている。勝手にしろ! と言いたい。
地元の西武ライオンズが目下13連勝、こういうこともあるのか(笑)。フジテレビだって、たまにはドラマが当たるぞ。月9の「ドクターヘリ緊急救命」が視聴率15,6%と好調、たまにはこういうこともあるさ!(爆)
 

歴史ロマン『落城』(23)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月 5日(土)07時02分12秒
編集済
  武広の報告を受けた貞清はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「その軍勢は鎌倉へまっすぐ行くのだろう。問題は後続の連中だ。どのくらい来るのか分からない。防備を固めるのはもちろんだが、まず味方の情報を待とう。鎌倉の方からもいずれ知らせが届くはずだ。気になるのは藤沢家だが・・・
とにかく、このあとの動静を見守るしかないが、お主はさっそく兵員を城の近くに集めてくれ。それから配置を考えればよい」
「はっ、承知しました」
武広はすぐに兵の召集に取りかかった。貞清は和田信春、稲村幸正にも命じて臨戦態勢を敷くことになったが、しばらく戦乱がなかっただけに準備はかなり手間取ったと言えよう。しかし、武広や信春、幸正が必死に取り組んだため、なんとか兵員約130人の態勢を整えたのである。
こうした中で、関東の情勢は大きく様変わりした。上杉氏憲(禅秀)を支持する勢力が一斉に蜂起したのである。彼らは鎌倉公方の足利持氏を倒し、事実上、関東を室町幕府から“独立”した地域にしようと企んでいた。このため、公方方の領主らに次々と攻撃をかけてきたのだ。
たとえば、武広の姉・忍(しのぶ)が嫁いだ後藤吉勝は柴山氏の家臣だったが、氏憲方の武将に攻められ、柴山城は陥落寸前となった。そこは山口から北へ30キロほど離れたところだが、忍から武広のもとに非常事態だという知らせが届いた。姉弟の父である武則と母の栞は非常に心配している。しかし、武広ら山口勢は自分の城を守るのが精いっぱいで、なんとも手の貸しようがなかったのだ。
そうした折、鎌倉の方へ探索に向かった佐吉がようやく帰ってきた。彼は血相を変えて語り始めたが、だいぶ疲れた様子である。
「殿、私がついていった軍勢は上野(こうずけ)の岩松氏の兵でした。詳細には知りませんが、彼らは鎌倉に着くやいなや公方さまの館などを襲撃したそうです。なんでも『大倉御所』というところに公方さまはおられたそうですが、敵味方が激戦になった末に敗れ、御所から脱出して逃げたといいますが所在は不明、安否は不明とのことです」
「ご苦労だった。しばらく休んでくれ」
武広はそう言って佐吉をねぎらうしかなかった。鎌倉公方の足利持氏はどうなったのか。また、味方の陣営は今どうなっているのか、皆目見当がつかない。武広はすぐに貞清に報告した。貞清の方も気が揉めるが、じっと待機するしかなかったのだ。
それから数日して、藤沢の方から詩織が小百合の書状を届けに来た。彼女は直接 貞清に会うと、奥方が息災であることだけを告げてすぐに引き下がった。書状の中身を要約すると以下のとおりだ。
<鎌倉公方と関東管領(上杉憲基)はどうやら無事に脱出したらしい。2人が殺害されたという噂があるが虚報のようだ。しかし、鎌倉府は完全に氏憲派が制圧し周辺の地域も支配した。幕府の出方はまだ分からない。このため、騒乱は長引くだろう。
藤沢家は“中立”を堅持しているので安心してほしい。これは夫(忠則)だけでなく、父上(忠道)や忠宗殿も了承していることだ。今のところ当方は、世の動静を注視し万全を期す考えである。重ねてご安心あれ。ところで、山口の情勢はどうですか?>
以上が小百合からの書状の要約だが、これを読んで貞清はとりあえず安堵した。しかし、この先どうなるかまったく分からない。今は藤沢家よりもこちらの方が危機的状況に陥っており、貞清は妹への返事を簡略に書いて詩織に託した。彼女は佐吉に一目だけ会うと、すぐに藤沢へ帰っていったのである。(続く)
 

8月3日(木)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月 3日(木)14時44分37秒
  深夜に目が覚めたら、寒いので暖房をつける。ところが午後になると冷房、年寄りの体感温度は滅茶苦茶だ!
安部内閣の改造人事が行われた。河野太郎外相と野田聖子総務相が異色か。特に河野外相は面白い。しかし、これで安倍内閣支持率が上昇するとは思えない。加計問題など山積だ。
ブログの「デジタル的思考の浅はかさ」に無礼なコメント、ただちに削除してやった。
老妻が頭痛や腹痛でダウン、とたんにジジイは日常生活に困ってしまう(苦笑)。ふだん、何もしないから。
 

歴史ロマン『落城』(22)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 8月 1日(火)09時44分9秒
  貞清の指図を受け、武広は翌日から領内の軍兵集めに取りかかった。コメの収穫が終わったばかりなので時期的には好都合だったが、二毛作を手がける農夫らはそう簡単には召集に応じてこない。武広は領地が危ないからと説得して、ある程度の軍勢をなんとか集めた。これには、農民の代表格である庄太の協力が大きかった。
そして、佐吉が率先して農夫らに臨時の軍事訓練、武術の特訓を行なったが、彼らのほとんどは家に槍や刀を準備していた。つまり、当時の農夫は“半農半兵”で、いざという時は戦いに出ていったのである。こうして山口領内の軍事態勢は進んでいったが、兵の数はせいぜい130人程度だった。
その頃、石神井の実家に戻っていた小巻ら妻子が帰ってきたが、彼女は武広の顔を見るなり言った。
「ずいぶん、ただ事ではない様子ですね」
小巻は少し驚いたようだ。
「いよいよ戦(いくさ)が始まるぞ。石神井の方はどうだ?」
「特に変わったことはありません。お館(やかた)さまも宗泰さまも普段どおりの様子でした。本当に戦が始まるのですか?」
お館さまとは領主の豊島(としま)範泰のことであり、宗泰はその長男だ。
「ああ、まちがいない。佐吉も領民たちの武術の特訓で忙しくしている。ふん、豊島さまにはあまり情報が入っていないようだな」
武広はそう答えたが、山口氏に比べ豊島家は相当に大きな領主である。兵の動員力も400人以上はあり、それで泰然自若としているのだろうか。武広は皮肉を言ったつもりで苦笑いした。豊島家にもいろいろ情報が入っているはずだが、小豪族の山口家とは“格”が違うのだろう。
小巻とそんなやり取りをしたが、武広は元気いっぱいの太郎丸と鈴の様子を見て安心した。子供は無邪気に成長している。この太郎丸もやがて甲冑を身につけ、戦場に出ていくのだろうか・・・そんな想いをめぐらせながら、武広は慌ただしい日々を送っていった。

そして、10月に入ったある日、武広のもとへ佐吉が息せき切って走り込んできた。
「大変です! 田んぼの向こうを4~500人の軍勢が南の方へ進んでいます!」
「なに! 一大事だ」
武広と佐吉はすぐに土塁の上へと向かった。そして見張り台に上ると、たしかに十数本の旗指物をかざした“人の群れ”が見える。軍勢にまちがいない! それが誰の軍勢かは分からないが、南の方角へ進んでいる。
「佐吉、お主はあの軍勢の後をつけてくれ。俺は貞清さまにすぐに報告する。いいか」
「合点(がってん)だ! あとで報告します」
そう言うと、佐吉は見張り台を下りて一目散に軍勢の後を追った。武広も貞清のもとへ走っていったのである。(続く)
 

7月30日(日)

 投稿者:矢嶋武弘  投稿日:2017年 7月30日(日)15時50分47秒
  梅雨みたいに雨がよく降り、ジメジメした変な天気が続く。
午前中、近所にいるフジテレビ時代のK先輩の家を訪問、奥さんも中学校の先輩だから大いに雑談を楽しむ。テレビ局の「旧友会だより」を借りて家で読んだが、かなりの人が他界していた。が、元気な人も大勢いる。同期のM君は近ごろ耳が遠くなったそうだが、それは自分も同じだ(笑)。
K先輩はなんでも書くのが好きだが、今は俳句に凝っている。「君は俳句はどうか?」と言われたが、やんわりと断っておいた(笑)。また、Kさんのところへ遊びに行こう。
 

レンタル掲示板
/239